、ととぎれとぎれにいう。金三郎はおどろいて、お志は忝ないがそれはいけません。男ひとりいるところへおあげしたことさえ心苦しく思っているのに、恩も義理もあるそのひとの眼をかすめて、どうしてそのようなことが出来ましょうかと言うと、お米は、女の身としてこんな夜更にあなたおひとりいるところへ忍んで来たうえは、たとえなんのことはなくとももうもとの身体ではありません。どうぞ哀れと思って、と畳に喰いついてどうしても帰ると言わない。金三郎も、はじめはきついことを言っていましたが、とうとうお米の情にほだされて割《わり》ない仲になった。……お米はそれから夜の六ツごろになると忍んで来て夜があけるとそっと母家《おもや》へ帰って行く。……そんなことがひと月もつづきましたが、金三郎はいかにも心苦しい、ある朝、といっても一週ほど前の話ですが、いつまでこんなことをしているのは相すまぬわけだから、いっそ和助どのに打ちあけてお詫びをし、晴れてゆるしを得たいものだというと、お米もどうぞそうしてくれという。父がもし立腹するようなことがあったら、いつぞや門でおひろいになった簪をお見せになると、きっと怒りがとけるわけがあるのですから、そういうときには、どうぞあれをお見せになってと言う。……夜が明けはなれてから金三郎はお米の手をひいて母家へ行き、庭の枝折戸の外へお米を待たせておいて、じぶん一人だけ和助の居間へ行って、これこれしかじかと詫びを言うと、和助は怪訝《けげん》な顔をして、あなたにはまだ申しあげなかったが、お米はお盆の夕方、寺から帰ると急にうつうつと睡りはじめ、なにを言うさえ現《うつつ》ないありさま。そのあいだにもいちど息をひきとったことさえあったほどの大わずらい。寝床の中で寝がえりひとつ打てない身が、どうしてあなたのところへなぞ忍んで行くはずがありましょう。あなたはお米を枝折戸の外へ待たせてあるとおっしゃったが、現在お米は次の間でひと心地もなく眠っておりますという。金三郎はおどろいて次の間へはいって見ると、いま現在、枝折戸の外へ待たせておいたはずのお米が、見る影もなく痩せほそって寝ている……」
顎十郎は、薄笑いをしながら聴いていたが、どうにも我慢がならないというふうにヘラヘラと笑い出し、
「どうだ、ひょろ松、おれがその後をつづけて見ようじゃないか」
「えッ」
「なにも驚くことはない。そのおさまりはこうい
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