遊びに来ていたから顔は一二度見たことがある。……それで、万和の金の簪というのは、いったいどんな話だ」
 ひょろ松は、なんということはなく坐りなおして、
「それがどうも、じつに奇妙。そのまま怪談にでもなりそうな筋なンです。時雨《しぐれ》がかったこんな薄ら寒い晩にはもってこいという話。……明日から月代りで今日一日は暇。ご存じなかったら、ひとつ、お話しましょうか」
「ひどく改まったな。が、落のあるのはごめんだぜ」
 ひょろ松は、膝をにじり出して、
「まア、まぜっかえさずにお聴きなさい。……話はすこし古くなるンですが、今からちょうど十五年前。おなじ木場に山崎屋金右衛門という材木問屋。金三郎という八つになる伜があり、万和のほうには、いまあなたがおっしゃったお梅という娘があって、当時これが四つ。万屋のほうも山崎屋のほうもおなじく木曽から出てきて、もとをたずねると遠い血つづき。これまでも親類同様、互いに力になりあってやって来たのだから、いっそお梅さんを金三郎の嫁に、というと、それはなによりの思いつきというわけで、襁褓《むつき》のうちから二人を許婚《いいなずけ》にし、山崎屋から万和へ約束のしるしに鳳凰《ほうおう》を彫った金無垢の簪をやって、二人の婚礼の日を楽しみにしていたンです」
「なるほど」
「それから二年たって木曽に大きな山火事があり、山崎屋の山が五日五晩燃えつづけてそっくり灰になり問屋の仕分けも出来かねるようになったので、店をしめて長崎へ行って唐木《からき》の貿易でもし、もう一度もとの身代にしようというので金三郎をつれて長崎へ行ってしまった。その翌年の春、そっと唐《とう》へ渡るというざっとした手紙が来たきり、それから十二年ただ一度も便りがない。……お梅のほうは顔もよく覚えていない金三郎を恋い慕い、佐土原《さどはら》人形に着物をきせて三度々々|影膳《かげぜん》をすえ、あなた、あなたと生きた金三郎がそこにいるように懇《ねんごろ》に話しかける。見る眼にもいじらしいほどだったというンですが、これがほんとうの恋病《こいわずらい》とでもいうンでしょう、見る影もなく痩せほそって今年の五月十七日に影のようになって死んでしまった。母親は後妻だからいいが万和の歎きはまた格別。しかし、なにごとも前世《ぜんせ》の約束ごと。これも因縁だとあきらめ、いよいよ棺に納めるとき、鳳凰の金簪を取りだしてお梅の身
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