なおしたが、酔っているのでも夢を見ているのでもなかった。なんど見なおしても鯨はいないのである。
げッ、と驚いて、足もともしどろもどろ。息も絶えだえに丸太梯子をよろけあがって三階のあがり口へ首だけ出すと、
「親方、たいへんだ。鯨が……」
馬鹿にするねえ、で、誰ひとり本当にしない。
冗談なんか言っているセキはありゃしない、嘘だと思うなら行って見なせえ、たしかに鯨はいなくなっているンです。やい、よだ六、かついだら承知しねえぞ、半信半疑で六兵衛が先に立ち、一同金魚のうんこのようにつながって、ゾロゾロと飾場までおりて来て見ると……
鯨がいない。
一同、あッ、と言って腰をぬかした。
それにしても、誰がなんの必要があって鯨などを盗んで行ったのだろう。それはまアいいとして、秀の後でよだ六が不浄へおりたのは、その間、時間で言えば、ほんの十分。その短い間に六間半もある鯨をどんな方法で持って行ったのだろう。
小屋の掘立柱《ほったてばしら》は三尺おき、それに竹矢来を組んで蓆《むしろ》を張りつけてある。六兵衛が鯨を小屋に入れるとき、前側と左右だけ丸太を組み、後をあけておいてそこから鯨を運び入れてか
前へ
次へ
全30ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング