見たンですが、さて、海岸までつめて行って見ると影も形もない。小船で逃げたようすもないから、ひょっとすると、海でも泳いでどっかへあがったにちがいないというンで、それで、こうして大捕物をやっているンです」
大評判《おおひょうばん》
両国の見世物へ黒鯨《くろくじら》が来た。
頭から尾までの長さが六間半。胴の周囲が太いところは大人の五ツかかえ。これが江戸のまンなかで絵にあるように潮を噴き、鯨ちゃんや、と言うと、あい、あい、と返事をするという。
江戸へ鯨が来たのはこれが最初。
いわんや、生きた実物が泳ぐところを、大人は百文、子供は五十文で見せるという。
「両国へ黒鯨がきたそうでございますな。もうお出かけになりましたか」
「おい、松|兄哥《あにい》、垢離場《こりば》の高物小屋へ仙台の金華山《きんかざん》から鯨が泳ぎついたそうだ」
「お花さん、鯨が見世物に出てるそうですよ。なんでも鯨の赤ちゃんを抱いておっ乳《ぱい》を飲ませるンだって」
「ご隠居さん、絵では見ましたが、正眼《まさめ》に生きて泳ぐところを江戸のまンなかで見られようとは思っていませんでしたよ。年寄は年寄づれ、ひとつ出かけ
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