屋さんが来ておかみさんと三階の出窓の部屋で話をしていたようです、と耳打ちをしたンで、さすがのあっしもおさまらなくなり、相手はもう仏になった人ですが、念を押して出て行ったすぐその後で、そんな舐めた真似をするおもんの白ばっくれように腹が立って、すぐおもんのところへ行って……」
「ずいぶんひどく殴ったりたたいたりしたそうだな。それで、殺す気になったのか」
 藤五郎は顔色を変えて、
「あっしが、おもんを……」
 ひょろ松は、十吉のほうへチラと眼くばせをしてから、
「藤五郎さん、もう証拠はあがった。……吉兵衛の家へ火をつけ、おもんに吉兵衛を殺させておいて、そのおもんをまた盛殺《もりころ》したのは、藤五郎さん、お前さんだろう」
 藤五郎は、唇を震わせて、
「どういう証拠で、そんなことをおっしゃるンです」
「ひと口には言えないから、順々に言ってやる。……なア、藤五郎さん、さっき、内所で起されるまでグッスリと寝こんでいてなにも知らなかったと言ったが、七ツ半近くお前さんが土蔵の扉前《とまえ》でウロウロしているのを雪隠《せっちん》の窓から見かけたものがあるというんだが、それはどうしたわけなんだ」
 それを聞くと、藤五郎は見る見る額に汗を滲ませて顔をうつむけてしまった。
 ひょろ松はうなずいて、
「なるほど、この返事はしにくかろうから、わたしが代って言ってあげよう。……つまり、こういうわけだったんだな。千里丸と見せかけて毒の薬包みを印籠の中へ入れておいた。おもんはそんなことは知らないから、いつもの持薬だと思って嚥んだンだ。お前さんはちょっと様子を見たくなってそっと内所をぬけだして土蔵の扉前まで行くと、おもんが血だらけになって這いだして石段のところで倒れている。ひょっと見ると、土扉の白壁に血で『とうごらう』と書いてある。……おもんはお前さんに毒を盛られたと知って恨みをいいに土蔵から這いだしたんだが、とても内所まで行けそうもないので、恨みの一分《いちぶ》を晴らすために、指へ血をつけてそんなものを書きつけたんだ。……お前さんはおどろいて、おもんの死体をひきずって寝床まで運んで行って土扉をしめ、石段の上にこぼれていた血を草履で踏みけし、鍵のさきで自分の名前の書いてあるところを削ってしまった。これにちがいなかろう。それともなにか言い分があるなら聴こうじゃないか」
「…………」
「お前さんはじゅうぶん踏み消したつもりだったろうが、水石《みずいし》というものは、ご存じの通り目の荒いもンだから窪みに血が溜ったところがいくつも残っている。……ねえ、そうだろう。おもんが自分のたらした血を気にして草履で踏みけすはずもなし、そういう苦しい中でわざわざ土扉をしめるようなそんな丁寧なことをするわけもない。これはどうも言いのがれする道はなさそうだ。……ねえ、藤五郎さん、お前さんは名の書いてあったのは土扉の白壁だけだと思っていたろうが、もう一カ所ほかにもあったんだ。……土蔵の額縁《がくぶち》の黒壁《くろかべ》にもやはり同じことが書いてあったんだが、このほうは暗くて気がつかなかった。……おもんもなかなか抜け目がない。白壁のほうだけだとこっそり削られてしまうかも知れないと思ったので、それでそんなことをしておいたンだ。それもただのところじゃない。朝陽があたるとその字が光って見えるように東むきのがわへ書いておいた」
 そう言って、懐中から『とうごらう』と赤く滲んだ半紙を取りだし、
「土蔵へ入ろうとして、ヒョイと見ると、黒壁になにか字が書いてあるがはっきりわからない。それで半紙を濡らしてその上へ貼りつけて見ると、こういう奇妙なものが滲み出したんだ」
 藤五郎が切迫つまった眼つきでなにか言いかけるのを、ひょろ松は押えて、
「おもんに吉兵衛を殺させたというのは、どういう筋から推すかというと、お前さんとおもんが同腹だったという証拠があるからなンだ。殺しておいて火をつけると、すぐ自分に疑いがかかるから自分が夜網を打ちに行った後で、吉兵衛がたしかに生きていたということを誰かに見せておく必要がある。それで、自分が船宿に着いたころに、おもんに吉兵衛を引きこませ、わざと女中に見られるように仕組んでおいた。……お前さんが吉兵衛の家へ出かけて行っていい加減な話をし、帰ると見せかけて染場の暗闇に隠れ、吉兵衛が出て行ったのを見すましてそこから這いだし、押入れや納屋にタップリと火繩を伏せて、なに喰わぬ顔で夜網を打ちに行った。……お前さんとおもんと同腹だった証拠はまだほかにもある。吉兵衛の死骸は、火がまわったところを見すまして梯子で三階の出窓から火の中へ跳ねとばしたんだが、あれほど大きな梯子を櫓から外してまた櫓へかけるようなことは、おもんには出来る芸当じゃねえからな」
「神田屋さん、そりゃア……」
「まア、黙っていなせえ。言うことがあったら番屋で聴こう。まだ続きがあるんだから邪魔をしちゃいけない。……最後に、京屋へ火をつけたのはお前さんだというのは、どういうすじかと言うと、これには二つの証拠がある。だいいちは、この印籠の下げ緒についている藍。これはお前さんが染場の藍甕のそばでしゃがんでいたという証拠なンだ。訊けば、お前さンが京屋へ出かけて行ったのは昨夜が始めてだそうだが、吉兵衛と話をするのに、なにをそんなところまで這いこむことはいらなかろう。湿ってこそいないが、この藍の色はつい昨日きょう染まったもの。お前さんも知っていなさろうが、藍甕は地面から五寸出るぐらいにして深くいけてあるもんだが、印籠の下げ緒が小半分染まっているところを見ただけでお前さんが藍甕のそばでどんなようすをしていたか、はっきりとわかるんだ。落したもんなら下げ緒ぜんたいがスッポリと染まる。しゃがんだはずみに腰に下げた印籠が半分ばかり藍甕の藍に浸《つ》かったのをお前さんは気がつかなかった。もうひとつの証拠というのは火繩と火口。……お前さんの網道具の小函の抽斗《ひきだし》に火繩の屑と火口が入っていた。これなんざア、まず、のっぴきならねえ証拠というほかない」
 十吉と孫太郎が左右から藤五郎の手をとって、
「おい、大清、一緒に番屋まで来てくれ」
 グイと引立てた。

   十五日

 駕籠屋さん。もとは江戸一の捕物の名人。冬瓜《とうがん》のお化け、顎十郎こと仙波阿古十郎。
 息杖によりかかってひょろ松の話を聴いていたが、ひと切がつくと、眉をしかめて、
「おい、ひょろ松、そいつはいけねえなア。ひょっとすると、そりゃア藤五郎がやったんじゃねえぜ」
 と言って、相棒のとど助のほうへ振りかえり、
「ねえ、とど助さん、チト妙な節があるじゃありませんか。恨むすじは吉兵衛のほうにあるが、藤五郎のほうにはない。そうまでおとなしくしているものを、おもんが吉兵衛とどうのこうのぐらいのことで、殺して家へ火をつけるなんてことをするものでしょうか」
 とど助はうなずいて、
「手前もさっきから訝《いぶか》しく思っていたのでごわす。なんとしてもその点が腑に落ちません」
「そうですよ、殺すにしろ火をつけるにしろ、もっと手軽な方法がいくらでもある。わざわざ難儀して手のかかることばかりやっているとしか思われてならない。つまりね、なんとなく不自由で、不必要に企みすぎたというような気がしませんか」
「します、します。……それに、どんな方法でやったところが、京屋と『大清』がそんな関係であって見れば、かならず藤五郎に疑いがかかる。これは逃れっこがないんだから、ちょっと悧巧な男なら、これはけっして殺《や》りません」
「そうですとも、殺らないほうが本当なんです」
 ひょろ松は、たまりかねたように割って入って、
「ですから、甲府でなにか悪いことをしたそのしっぽを吉兵衛が……」
 顎十郎は笑いだして、
「大清が京屋のとなりへ移って来たのは昨日や今日じゃあるまい。どんなしっぽをつかまれたか知らないが、いつ言い出されるかわからないのに便々と二年も放っておくわけがない。どうでも殺さなければならないのなら、もっと以前にやっているはずだ。また、吉兵衛のほうにしたってそれだけの弱味を握ってるなら、おもんを引きあげられたときに口惜しまぎれにひと言ぐらい喋らなければならねえ場合だ。俺の考えるところでは、そりゃアたぶん吉兵衛が出鱈目だな。……俺にすりゃア、そんなことより吉兵衛の寺通いのほうが気にかかる。墓いじりばかりしていたなンていうのは、自分の死ぬ日が近くなったのを知ったためではなかったろうか。……おい、ひょろ松、お前、吉兵衛の菩提寺というのへ行って見たのか。どんなことをしていやがったのか洗って来たのか」
 ひょろ松は、額へ手をやって、
「どうも、そこまでは……」
「それをやらなきゃ話にならねえ。……吉兵衛の菩提寺というのは、いったいどこだ」
「浅草|御蔵前《おくらまえ》の長延寺《ちょうえんじ》だということです」
「そんならわけはねえ。ここからひと跨《また》ぎだ。これからすぐ行って見よう。さあ、乗んねえ、乗んねえ、かついで行ってやる」
 嫌がるひょろ松を駕籠へのせ、ホイホイという間もなく長延寺。
 住持にあってようすを訊くと、
「いつもひどく沈んだようすをしていて、墓石を洗いながらブツブツひとりごとを言ったり、墓にもたれてぼんやり考えこんでいたりするので、わたくしも気にしていたンですが、このあいだ来たときなどは、永代経をたのみますと言って二十両つつんで来ました」
 顎十郎は、妙な顔をして、
「永代経というのは自分が江戸を離れて生涯帰ってこられねえとか、死目が近くなって、それに跡目がいねえなどというときに、忌日々々に先祖の供養をしてもらうことなんだが、ピンピンしている吉兵衛がそんな真似をするのはチト妙じゃなかろうか」
 永代経料の包み紙がまだ本堂の壁に貼ってあるというから三人でよってそれを見ると、永代経料、と書いて、その傍に『六月十五日』と日づけが入れてある。顎十郎は、手をうって、
「これですっかりタネがあがった。おい、ひょろ松、とど助さん。吉兵衛は、どうでも藤五郎とおもんに疑いがかかるように仕組んでおいて自分で家に火をつけて死んだんですぜ」
 ひょろ松は、えっとおどろいて、
「ど、どうしてそういうことが……」
「そうだろうじゃないか。だいいち、永代経がものを言う。それに、この日づけを見ろ。これをあげに来たのは十一日だったというのに、ここには『六月十五日』と書いてある。十五日というのは吉兵衛が死んだ昨日のこと。十五日に死ぬ、十五日に死ぬと、そればっかり考えているもンだから、ついなんの気もなしにその日づけを書いてしまったンだ」
 ひょろ松は、腑に落ちぬ顔で、
「それはともかく、どういうわけで十五日なんていう日を選んだのでしょう」
「六月十五日は小鰡の切網ゆるしの日で、かならず藤五郎が留守にするとわかっているから、それで、この日を選んだンだ。して見るとこりゃア長いあいだかかって企んだものなんだな。……これで見ると、吉兵衛というやつはよっぽど執念ぶかい奴にちがいない。三階から死骸を投げ落したように見せかけるために自分でわざわざ屋根の物干場へあがって焼け死に、おもんか藤五郎でなければやれないというふうに拵えたところなンか実にどうも天晴れなもンだ」
 三人で番屋へ来て、藤五郎の印籠を手にとって眺めていたが、顎十郎は、フイと口を切って、
「ねえ、藤五郎さん、あなたが吉兵衛のところへ行ったとき、吉兵衛は粗相して藍壺をひっくり返し、あなたの着物の腰のあたりを藍で汚しましたろう」
「はい、その通りでございます」
「吉兵衛は、あわてて、こりゃア飛んだ粗相をしました。すぐ汚点《しみ》抜きをしますから、と言ってあなたを裸にしましたろう」
「はい、その通りでございます」
 顎十郎は、ひょろ松のほうへむいて
「……印籠の薬を毒とすりかえたのは、そのあいだに吉兵衛がやった仕業なンだ」
 と言って、小馬鹿にしたような顔で、ひょろ松のほうへニヤリと笑って見せた。



底本:「久生十蘭全集 4[#「4」はローマ数字、1−13−24]」三一書房
 
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