ど変った奴にちがいないンです」
裸の膝っ小僧へにぎりっ拳をおいて、
「ときに、お見こみはいかがです。やはり……」
ひょろ松は、むずかしい顔をして、
「そんなことがわかるもんか。吉兵衛の口だけできめてかかれるもンじゃねえ。強がって与太《よた》っぱちを言ったのかも知れねえからの」
「でも、入墨の痕が……」
「それだって、その棒手振がなにをどう感違いしたのかわかったもんじゃねえ。あわてると仕損じる。まアまア手がたくゆくこッた」
と言いながら、帷子《かたびら》の襟をしめ、
「じゃ、ひとつとっくり焼跡を見ることにしようか。念を押すまでもねえが、昨夜のままになっているンだろうな」
「そのご念にはおよびません。非常止めにして、火消人足さえ入れないことにしてあります」
「京屋の間取りはわかっているか」
「ここへ図取りがしてございます」
「おお、そうか、よしよし。じゃ、出かけるとしよう」
浅草橋からは、わずかな道のり。
手扇で陽ざしをよけながら、二丁目の角まで来ると、その角から河岸っぷちまで止め繩を張りめぐらして番衆が六尺棒を持って立番をしている。
ひょろ松は、番衆にちょっと声をかけておいて、十吉とふたりで焼跡へ入って行く。
京屋の塀が五間ばかり焼けのこっただけで、よくまあこう見事に焼けたものだと思われるほど。
家が古いのに、よく乾き切っていたと見え、梁も桁もかたちがなくまっ黒に焼けきった焼棒杭《やけぼっくい》と灰の上に屋根伏せなりに瓦がドカリと落ちつんで、すこし谷のように窪んだところにまっ黒に焦げた吉兵衛の死骸が俯伏《うつぶ》せになっている。
ひょろ松は、一間ほど離れたところに突っ立ってジロジロと眺めていたが、十吉のほうへ振りかえると、だしぬけに、
「おい、十吉、この死骸はどうしたんだ」
「どうした、とおっしゃると」
「誰か手をつけたのか、掘出したのか」
十吉は、首をふって、
「そんなことはしませんです、昨晩からこうなっているンで」
「それは、確かなことなンだろうな」
「確かも確かも。番所で油を売っていまして、ジャンと鳴ると火消改と一緒にまっさきに飛んで来たのはこのあっしなんで。……それから焼落ちて水手《みずて》が引きあげるまで、ずっとここを離れなかったンです」
「すると、お前が見たときから、このありよう[#「ありよう」に傍点]は変っていないわけだな」
「へえ、そうなンでございます」
ひょろ松は、顎を撫でながら、なにか思案していたが、
「するとなんだな、十吉。これは焼死んだのじゃなくって、殺されてから火の中へ投げこまれたのだな」
「えっ、それはまたどういうわけで?」
「だって、そうじゃないか。つもっても見ろ、焼け死んだのなら、死骸は瓦の下になっているはずだろう。ところが、こうして瓦の上にある。言うまでもなく、これは殺されてから火の中へ投げこまれた証拠だ」
「なるほど、こいつア理屈だ」
「なア、十吉、お前が駈けつけて来たときにはもうだいぶ火の手があがっていたか」
「火の手どころじゃありません。すっかり火がまわって、駈けつけたときにはもう焼落ちるばかり。手のつけようがねえもンですから、こっちは放っておいて『大清』の塀へばかり水をかけていたンで」
「それでよくウマがあう。……見る通り、西と北は大通り。火の手があがって火消や弥次馬が来てからじゃ、ひと目があってこんな芸当は出来ねえはず」
と言いながら、すぐ鼻っさきの南がわに聳え立っている『大清』の三階のほうを顎でしゃくりながら、
「おい、あそこを見ろ。三階の座敷の窓が張出しになっている。あのへんからだとやれそうだな」
十吉は、頭をそらして目測《めづも》りをしていたが、
「なるほど、やってやれないこともありますまいが、すこし間尺《まじゃく》がちがいますね。なんといったって死んだ人間の身体はひどく重量《おもみ》のあるものだから、どうはずみをつけて放りだしたって、こんなところまで飛ばせるわけがねえ。もっと塀ぎわへ落ちるでしょう」
ひょろ松は、ニヤリと笑って、
「三階の櫓下に非常梯子が吊ってあるだろう。あれが、手品のからくりだ」
十吉は、膝をうって、
「考えやがった。……すると、つまり、梯子のはしへ死骸をのせて……」
「こっちへヒョイと突きだせば、否でも応でも死骸がひとりでにこのへんまで辷り出してくる。だいたいそのへんのところだろう」
十吉はうなずいていたが、急に怪訝《けげん》そうな顔つきになって、
「たしかにそれにはちがいない。それはよくわかりましたが、それにしても、なんのためにそんな手間のかかることをやったンでしょう。わざわざあんな高いところまで死骸を引きあげて火の中へ放りこむような廻りくどいことをしなくとも、殺しておいて火をつけりゃそれですむことじゃありませんか」
「それはなア、火をつけた奴と吉兵衛を殺した奴と人がちがう。つまり、放火と殺人はふたりの人間の手で別々にやった仕事だからだ」
「そりゃまた、どういうわけで?」
「三階から火はつけられねえ。ところで、死骸は三階からでないとここまで届かねえ。殺しておいて火をつけたほうが簡単なのに、それをしなかったのは、火をつけてしまってから、そのあとで急に、吉兵衛を殺さなければならねえ事情が出来たからだ」
「そう聞けば、いかにももっとも。でも、……ふたりの手で別々に、とはどういうんです」
「だってそうじゃないか。火の手のあがったのが四ツ半だということだったが、藤五郎は夜の五ツ半(九時)ごろ、芝浦へ小鰡《おぼこ》の夜網を打ちに行って『大清』にはいなかったんだから、三階からこんな芸当することは出来ない。……ところで、おもんのほうは昨日いちんち家から外へ出なかったということだから、このほうは隣りへ火をつけるわけにはゆかねえ。まず、こういう訳だ」
十吉は、うるさくうなずいて、
「よくわかりました。すると、火をつけたのが藤五郎で、吉兵衛を殺したのはおもん……」
ひょろ松は、手をふって、
「おいおい、早まっちゃいけねえ。誰もそんなことを言ってやしねえ。それを、これから調べようというんだ。あまり頭からきめてかからねえこった」
と言いながら、吉兵衛の死体のそばへ寄って行って焼瓦の上にひきおこし、懐中から鼻紙を取りだして太い観世撚《かんじより》をつくって、それで吉兵衛の鼻孔《はな》の中をかきまわしていたが、やがてそれを抜きだしてためつすがめつしたのち、十吉のほうへ観世撚のさきを突きつけ、
「ほら見ねえ、自分で火を出して煙に巻かれて焼け死んだのなら、鼻孔《はな》の中へ媒や火の粉を吸いこんでるはずだが、こうやって見るとまるっきりそんなものがなくてこの通り綺麗だ。やっぱり殺されたんだぜ」
そう言ってるところへ、焼瓦を踏みながら飛んで来たのが、昨晩からずっと『大清』へつめさせてあったこれも下ッ引の孫太郎。息せき切りながら二人のそばへやって来て、
「親方、おもんが土蔵の中で血を吐いて死んでいます。……どうも殺されたような様子なんで……」
ひょろ松は、十吉と眼を見あわせて、
「この朝がけからご厄介なこった。今日も暑くなるぜ。しょうがねえ、ひと汗かきに行くとするか」
と言って、もう一度、三階のほうを見あげ、
「前後の模様から推すと、おもんは別れてからも、藤五郎の留守にチョクチョク吉兵衛をひっぱりこんでいたんだと見えるな」
十吉はうなずいて、
「まず、そのへんの見当で。……これじゃ話がもつれるのが当然だ。じゃア、お伴いたしやしょう」
ようやく六ツになったばかり。磨きあげたような夏の朝空。
薬包紙《やくほうし》
膳椀の箱やら金屏風やらあわててゴタゴタと運びこんだ土蔵の中に蒲団を敷いて、おもんは、その上で血を吐いて死んでいる。
よほど苦しかったと見え、船底枕《ふなぞこまくら》を粉々に握りつぶしている。血の痕を辿って見ると、いちど土蔵の扉のところまで這って行って土扉に手をかけたが、力つきてまた蒲団のところまで戻ってきてここで縡《ことき》れたのらしい。
ひょろ松は、藤五郎のほうへグイと膝を進め、帷子の袂から珊瑚の緒止めのついた梨地《なしじ》の印籠を取りだして、藤五郎の眼の前へそれを突きつけ、
「……こんなものが土蔵の庇あわいのところに落ちていたが、藤五郎さん、これは、お前の印籠だろうね」
「へえ、さようでございます」
ひょろ松は、別な袂から揉みくしゃになった赤い薬の包み紙を取りだし、
「ところで、こんなものがそこの屏風箱のかげに落ちていた。この通り印籠の中に残っている薬の包み紙と同じなんだが、こりゃいったいどうしたわけのもンだろう」
悪相というのではないが、ひと癖ありそうな面がまえ。ズングリと肥って腹が突き出し、奥山の高物《たかもの》小屋で呼込みでもしたら似あいそうな風体。
藤五郎は、きかぬ気らしく太い眉をピクリと動かして、
「それがどうしたとおっしゃるんです」
「どうしたもこうしたもねえ。俺が訊いてるんじゃねえか。それに返事をすりゃアいいんだ。この包み紙はこの印籠から出たものだろうと、そう訊ねているんだ」
「それはあっしが申しあげるより、あなたがごらんになったほうが早いでしょう」
「返事をしたくなかったらしなくてもいい。じゃア、別なことを訊ねるが、こんなところに印籠が落ちているのはどういうわけなんだ」
「存じませんです」
「印籠に足が生えて、ひとりでここまで歩いて来たか」
「ご冗談。……それはおもんが持ちだしたので、それでこんなところにあるんだろうと思います。もう充分お調べがあがってることでしょうから、多分ご存じのことと思いますが、おもんはきつい癪持ちで、そのたびに難儀をいたしますから、羽黒山《はぐろさん》の千里丸《せんりがん》をいつも切らさずにこの印籠へ入れておくんです。……昨晩の火事さわぎで無理にからだをつかったと見え、七ツごろあっしが夜網から帰って来ますと、また癪でも起しそうな妙な顔していますので、ここはゴタゴタして大変だから土蔵へ行って静かに寝ていたらいいだろうと言いますと、じゃそうします、と言って土蔵へ寝に行きました。……あっしは内所《ないしょ》へ床を敷かせて寝ましたが、疲れていたもンでついさっき叩きおこされるまで、なにも知らずにグッスリと眠っていたんですが、おもんは土蔵へ行ってから急に差しこんで来たので内所まで印籠を取りに来たのだと思います。……なにかほかにまだお訊ねの筋がございますか」
「そういちいち先くぐりをするな。もちろん、こんなこっちゃすみやしない。順々に訊くから、訊いたことに返事をすりゃいいんだ」
藤五郎は、キッと顔をあげて、
「お言葉のようすですと、なにかあっしに疑いでもかけておいでのように思われますが、あっしがおもんを殺したとでもお考えになっていらしゃるんでしょうか」
「藤五郎さん、お前さん妙なことを言うじゃないか。なんといったってお前さんの家で人が死んでいるんだ。家内に当りをつけるぐらいのことは当然だろうじゃないか。それとも、なにか憶えでもあるというのか」
ジロリと藤五郎の顔を眺めて、
「けさ七ツごろ、お前さんが夜網から帰って来ると、おもんとなにか大変な口争いをしているのを女中が聴いたそうだが、いったい、どんなもつれだったんだね」
藤五郎は、グイと肩をひいて、
「そんなことまで申しあげなくちゃならねえんですか」
「まア、そうだ。役儀のおもてで訊いているんだから、ひとつ言って貰おうじゃないか」
藤五郎は、ちょっと顔を伏せていたが、すぐ顔をあげて、
「あまり言いたくない話ですが、役儀とおっしゃるならやむを得ない、洗いざらい申しあげますが、実は、このごろ、おもんがあっしの留守に、チョクチョク吉兵衛と話しこんでいるらしいンです。……実は、きのうの夜、夜網の出がけに京屋へ出かけて行ったのもそのためで、吉兵衛にあって人の口にかかると外聞が悪いから、そんなみっともないことはよしてくれとそれを言いに行ったわけだったんです。ところが、あっしが夜網から帰って来ると、お仲という女中が、旦那、昨晩もまた京
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