出来ません。どうぞ、もっと……」
「もっと、なんです」
「もっと、どんどん頭ごなしにお言いつけくださいまし。……なにを持って来い、かにを持ってこいと、鷹揚におっしゃっていただきたいのでございます。そんなふうに慇懃《いんぎん》におおせられますと、わたくしどもは馴れませんことでございますから、おどおどして、どうしてよいのやらわからなくなってしまうのでございます」
「へへえ、そいつア逆ですな。丁寧に言うと、おどおどしてしまうというのはわからないねえ。しかし、そういうことでしたら、まア、出来るだけ横柄にやりましょう。つまり、……こんな工合ですかね。……おい、おい、酒を持ってまいれ……いかがです」
「声色《こわいろ》だけはよけいでございますわ」
「大きに、承知。……それはいいが、オイオイではいかにもおかげがねえ。あんたの源氏名は、いったいなんてえんです」
腰元は、ほほほと笑って、
「小波《さざなみ》でございます」
「鴫立《しぎた》つや、沼《ぬま》によせくる小波の、……いい名ですな。では、そろそろやっつけましょう。ええと、小波さん……」
「小波と、お呼びすて願います」
「いやはや、もったいないが、御意《ぎょい》にしたがいましょう。……これ、小波」
「お召しでございますか」
「こりゃアまるで掛合いだ。だいぶ愉快になって来た。じゃ、早速ですが、まず第一に……」
小波は、やさしい仕草《しぐさ》で、ちょっと押しとどめるような手真似をしながら、
「でも、それでは困ります」
「へえ、まだ、なにかいけませんか」
「お殿様のお申しつけでは、存分《ぞんぶん》にお寛《くつろ》がせ申せということでございました、もっとお寛ぎくださいませ。そんなふうに四角にお坐りになっていられたのでは、お寛がせ申したことにはなりません。膝をおくずしなさいませ。豪勢にあぐらでもかいていただきます」
「いや、どうも御念の入ったことで。どっちみち、いずれはくずれる膝ですが、しからば御意にしたがいましょう」
顎十郎は、燃え立つような繻珍の大褥の上に大あぐらをかいて、
「どっこいしょ、こんな工合じゃいかがです」
「結構でございますわ。ついでに、どうぞ、脇息へ肘をおもたせくださいまし」
「はは、こんな工合でよろしいか」
「お立派に見えますわ」
「ひやかしちゃいけねえ」
小波は、嬉しそうに手をうって、
「その調子。……今のようなくだけた口調でやっていただきますわ。ちっとも、御遠慮はいりませんから、なんなりとおっしゃっていただきとう存じます」
顎十郎は、へへえ、と、だらしなく笑って、
「あまり調子がいいと、口説《くど》くかも知れませんぜ」
小波は、あら、と小さな声で叫ぶと、サッと顔を染めて、
「そこまでは、ちと行きすぎます」
「いやア、いまのは冗談。取消す、取消す」
小波は、それを聞き捨てて、裾さばきも美しく、しとやかに立ちあがると、床ぎわの乱れ籠のそばへ行き、定紋つきの羽織を両袖をさしそえながら持って出て、足袋の爪さきを反らせながらスラスラと顎十郎の後へまわり、
「長雨のあとで、少々、冷えますようですから、お羽織をおかけいたします」
並九曜《ならびくよう》の紋のついた浜縮緬《はまちりめん》の単衣羽織《ひとえばおり》をフワリと着せかけると、また、もとの席までもどって行って、首をかしげながらつくづくと眺め、
「よく、おうつりになりますわ」
「てへへへ、馬子にも衣裳というやつ」
「その洒落は古うございます」
と、はね返しておいて、両手をつかえて、
「御用をうけたまわります」
顎十郎は、恐悦のていで長い顎のさきを撫でながら、
「そう改まれるとちと気がさすが、せっかくのことだから、遠慮なく申しますぜ。……酒のほうは、すこしねばるが、花菱《はなびし》に願いましょう。銚子《ちょうし》では酒の肌が荒れるから、錫のちろりで、ほんのり人肌ぐらいに願います」
「かしこまりました」
「……最初は、まずお吸物だが、こいつは鯛のそぼろ椀ということにいきましょう。皮を引いたらあまり微塵《みじん》にせずに、葛もごく淡《うす》くねがいます。さて、……ちょうど、わらさの季節だから、削切《けずりき》りにして、前盛《まえもり》には針魚《さより》の博多《はかた》づくりか烏賊《いか》の霜降《しもふり》。つまみは花おろしでも……」
「かしこまりました。煮物はなんにいたしましょう」
「ぜんまいの甘煮《うまに》と、芝蝦《しばえび》の南蛮煮《なんばんに》などはどうです。小丼《こどんぶり》は鯵《あじ》の酢取《すど》り。若布《わかめ》と独活《うど》をあしらって、こいつア胡麻酢《ごます》でねがいましょう」
「お蒸物《むしもの》は?」
「豆腐蒸《とうふむし》と行きましょうか。ごくごくの淡味《うすあじ》にして、黄身餡《きみあん》をかけてもらいましょう。焼物は、魴※[#「魚+弗」、第3水準1−94−37]《ほうぼう》の南蛮漬。口がわりは、ひとつ、手軽に、栗のおぼろきんとんに青柳《あおやぎ》の松風焼《まつかぜやき》。……まア、だいたい、これくらいにして、後はおいおい、そのつど追加するとし、とりあえず、いま言った分だけをここへずらずらッと並べていただきましょう」
小波は、改まった会釈《えしゃく》をしてひきさがって行ったが、間もなく、爪はずれよく足高膳《あしたかぜん》に錫のちろりをのせて持ちだし、つづいて、広蓋《ひろぶた》に小鉢やら丼やら、かずかずと運んで来て膳の上にならべる。
顎十郎は呆気にとられ、
「これはどうも、まさに即意当妙《そくいとうみょう》。こうまで水ぎわだっていようとは思わなかった。こういう芸当を演じるには莫大な無駄と費用がかかるもの。うすうすは察していたが、小波さん、あなたの殿様てえひとは、よほど派手な方とみえますな。贅沢といっても、これほどのことはなかなか出来にくい。お留守居にはずいぶん通人も多いが、ちょいとこいつは桁はずれ。まったく、感じ入りました」
小波は、愛らしくうなずいて、
「殿様は能登《のと》様の御勘定役《ごかんじょうやく》。また、奥様のお実家は江戸一のお札差《ふださし》の越後屋《えちごや》。したがって、たいへんご内福で、それに、このたび、鹿児島の英吉利《えげれす》騒動につらなって藩の武器買入れのため、御用金をたんとお預りになっていらっしゃるので、ついこの裏のお金蔵には、黄金《こがね》が夜鳴きしているそうでございます」
「ほほう、時節柄、それは物騒な話。してみると、今宵のお招きは、そのへんのことにかかわったことであるやも知れん」
「そのへんのことは、もちろんあたくしどもの存じよりにないことですけど、噂によりますと、このほどから、このお金蔵を狙っているものがあるというようなこともチラチラ耳にいたしております。もっとも口さがない中間どもの噂ですから、どこまで本当のことですやら。……それにつけても、あなたさまのような、江戸一といわれる捕物のご名人が、ここでこうして控えておいでになるんでは、いかな盗賊どもも迂濶《うかつ》には手出しもなりますまい。ほんとうに、こんな心丈夫なことはございませんわ」
急に気がついたように、婀娜に身体をくねらせながら、ちろりを取りあげると、
「……そんなことはともかく、ま、おひとつ。……こんな出雲舞のお酌ではどうせお気に入りますまいけど……」
と、ひどく色気のある眼つきで斜《しゃ》に顎十郎の顔を見あげる。顎十郎は恐悦しながら盃を取りあげ、
「金蔵の番人には、チト行きすぎたお款待《かんたい》。生れつき遠慮ッ気のないほうだから、会釈なしにやっつけますが、美禄《びろく》に美人に美肴《びこう》と、こう三拍子そろったんじゃ、いかに臆面のない手前でも顔まけをいたします。……おっとっと、散ります、散ります」
大有頂天の大はしゃぎ。太平楽をならべながら頻《しき》りに注《つ》がせる。
ところでこの小波、注ぎっぷりもいいが、受けっぷりもいい。どうぞ、ほんの少し、と言いながらいくつでも受ける。ひどく調子がいいもんだから、いきおい弾みがついて、だいぶ陽気な光景になる。下町からあがった腰元とみえ、酔うにつれて、小さな声で小唄なんか歌う。ところで、顎十郎のほうも、もとをただせばそうとうな道楽者なんだから、すっかりウマが合う。引きぬきになって、
「それ、ご返盃ッ」
「ちょうだいしますわ」
てなわけで、差しつおさえつやっていたが、そのうちに小波が、ちょっと、といって足もとをひょろつかせながら出て行ったが、それっきりいつまでたっても戻って来ない。
酒も切れ、肴も荒してしまった。そのうちに出て来るだろうぐらいに考えて、なすこともなくぼんやりしていたが、いっこうに帰って来るようすもない。どうにも手持無沙汰でやり切れなくなり、うるさく手をたたきながら、
「おいおい、小波さん、引っこんでしまった切りじゃしょうがねえ。化粧なおしなんざ後でもいいから、ともかく、酒を持って来てくれ。……酒がねえぞウ。おーい、酒、酒!」
大りきみに力んで、テッパイに怒鳴り散らしているところへ、渡り廊下のほうに、二三人の足音がドサドサと近づいて来た。
瓦灯口の襖をサラリと引きあけて、ヌッと顔を現したのは、思いきや、これが顎十郎の仇役。互いに一位を争う、これも捕物の名人、南町奉行所の控与力藤波友衛。後へつづく二三人は、巻羽織《まきばおり》やら磨十手《みがきじゅって》。髪をおどろに振りみだした三太夫ていの男をひとり中にはさんで、ズカズカと茶室の中へ入りこんで来た。
顎十郎は酔眼|朦朧《もうろう》。春霞のかかったような、とろんとした眼つきで藤波の顔を見あげながら、素頓狂《すっとんきょう》な声、
「いよウ、藤波さん、これは、これは、珍客の御入来。やはり、あなたもポチポチの組ですか。……そんなむずかしい顔をして突っ立っていないで、まア一杯おやんなさい。間もなく座持ちのいい乙姫さまが立ち現れて来ます。まアどうか、お平らに」
藤波は、痩せた権高《けんだか》な顔を蒼白ませ、立ったままジロジロと顎十郎の顔を眺めていたが、やがて噛んで吐き出すように、
「ねえ、仙波さん、あなたがぬすっとの用心棒をつとめていたとは、さすがのこの藤波も、きょうのきょうまで気がつかなかった」
顎十郎は、トホンとした顔つきで、
「手前がもそっと[#「もそっと」に傍点]飲めばよかった、たア、いったいなんのことです」
「とぼけちゃいけねえ、なにを言ってやがる。こんなところでとぐろを巻いていて、夜番の眼をそらし、裏でこっそり金蔵を破らせるなんてえのは、たしかにうまい趣向。貴様らしい思いつきだ。今にして思いあわせると、以前ちょっと甲府で役についていたことがあるというだけで、その後、四五年、どこでなにをしていたものやら誰も知っているものがねえ。……縁につながる叔父の森川庄兵衛のところへフラリと舞いもどって、なにくわぬ顔で北町奉行所の帳面繰り。……江戸一と言われた捕物の名人が、ひと皮|剥《は》ぎゃア、金蔵破りの大ぬすっとの同類とは、こいつアよっぽど振《ふる》ってる。……おい、仙波、永らくすっ恍けていやがったが、今度こそは年貢《ねんぐ》の納めどき、昔の誼《よし》みで、この藤波友衛が曳いて行ってやる。観念してお繩をいただけ」
顎十郎は、両手で泳ぎだし、
「じょ、じょ、冗談じゃない。……それは、なにかの間違い」
三太夫ていの老人は、御用聞をかきわけて前へ進みだし、血走った眼で顎十郎を睨みつけながら、
「そちらは間違いであろうと、わしの眼には間違いはない。ここな大泥棒めが。……殿様の褥に大あぐらをひっかき、酒を持って来いの、小鉢だのと、女賊を顎で追いつかい、しなだれるやら、色眼をつかうやら、恐れげもなく殿様の御定紋入りの羽織など着くさって、おれがここに控えておれば、金蔵破りのほうはいっさい心配はいらぬと大仰《おおぎょう》な頬桁《ほおげた》をたたいておったのを、わしはたしかにこの耳で聞いたぞ。これでも言いぬけする言葉があると申すか、不敵なやつめ」
顎十郎は、さすがに酔いもさめてし
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