まった顔つきで、
「なるほど、そういうわけだったのか。……藤波さん、あなたの勘違いはもっともだが、これにはこういうわけがある。そいつをひとつ聞いてもらわねば……」
藤波は、冷然たる面持で、
「言うことがあったら、出るところへ出て申しあげろ。……おい、かまわねえから繩を打ってしまえ!」
声に応じて、バラバラと走りでた下ッ引。
「神妙にいたせ」
「神妙にいたさば、御慈悲を願ってやる。悪る足《あ》がきをしねえで、お繩をうけろ」
四方から飛びついて、高手小手《たかてこて》にいましめる。
香聴《こうき》き
有為転変《ういてんぺん》の世の中。きのうまでは江戸一の捕物の名人。将軍の御前で捕物御前試合の勝名のりをうけたほどの身が、きょうは丸腰にされて揚屋《あがりや》の板敷の上。変ればかわる姿である。
さすがにうっそりの顎十郎も、多少の感慨があるらしい。秋風落莫《しゅうふうらくばく》と端坐している。もっとも、表面そう見えるだけで、肚の中ではなにを考えているのか知れたもんじゃない。
ものの半日あまり、枯木寒巌《こぼくかんがん》といったていで、半眼をとじながら黙々然々《もくもくねんねん》としていたが、お調べも間もない辰刻《いつつ》になると、とつぜんカッと眼を見ひらいて、
「〆《しめ》たッ」
と、膝を打つ。ヘラヘラ笑いながら自堕落《じだらく》に身体を投げだし、ゴロリと板敷のうえに寝ころがると、いつものように肘枕をつき、
「ふふん、これで、どうやら眼鼻がついた」
と、つぶやいた。
いつもの顎十郎らしくもなく、たったこればかりのことで意気銷沈し、いやに神妙に首を垂れていると思ったら、あにはからんや、そうじゃなかった。顎十郎は、ウマウマとはめられた竹箆《しっぺ》がえしの方法を今まで沈考《ちんこう》していたのだった。
顎十郎は、揚屋格子のほうをうっそりと眺めながら、
「あの陽ざしの工合では、もう辰の刻。間もなくお調べがあるだろうが、ここまで漕ぎつけりゃア、こっちのもの、たぶんなんとかなるだろう。……せめてあのときの使いの手紙でも手もとにあったら、こんな苦境に陥《おちい》らなくてもすんだろうが、むこうの言いなり次第にうっかり返してやったばっかりに、とんだ目にあってしまった。……こうなった以上は、せめて、ぬすっとの手がかりだけでもつけておかねば二進《にっち》も三進《さっち》もいきゃアしねえ。……といっても、今までに辿りついたところでは、証拠といっても至って心細いもんだが、他《ほか》になにひとつ手がかりはねえんだから、こいつに獅噛《しが》みついて、どうでも突きつめるより他はねえ」
むっくり起きあがると大あぐらをかき、長い顎のさきを抓《つま》み抓み、
「数寄屋で香を焚いていたものなら、茶室に入ったときにもう匂っていなければならぬはずだ。ところで、あの香りがホンノリおれの鼻に来たのは、どう考えても、あの腰元面が入って来てからのことだった。と、すると、あの匂いは、あいつの身についていた匂いだと思う他はない。おれの鼻は馬鹿じゃない。ワンワンほどには行かぬけれど、自慢じゃないが、これでそうとう、ものを嗅ぎわけるほうだから、この感じには間違いはあるまい。ところで、この件は、おれにとっちゃ天の助け。なにしろ、ああいう変った匂いだから、なんとか藤波をだまくらかして、お調べを半日ほど引きのばさせ、五十八香木を取りよせて、ここでいちいち聴きわけたら、なんとか筋道がつくかも知れない。……しかし、考えてみりゃア、こんどぐらい馬鹿な目にあったことはない。食い意地の張ってるのは生れつきだが、うっかり食い気を出したばっかりに、おれともあろうものがマンマとはめられてカラだらしのねえ有様。まア、しかし、おれの弱点をついて、洒落た手紙でおれを釣りよせるなんてえのは、敵ながら天晴れ。手ごわいおれを金蔵破りのぼくよけ[#「ぼくよけ」に傍点]にして、ついでにしくじらせてしまおうという一石二鳥。じつに恐れ入ったもんだよ。まアまア、見てるがいい。たとえ骨が舎利《しゃり》になっても、この仕返しはしねえじゃおかねえから」
と言ってるところへ、牢格子のむこうへ二三人の足音。
「噂をすれば影。ひとつ殊勝《しゅしょう》らしく持ちかけて、こっちの思いなりにさせてやろう」
急に坐りなおして、殊勝らしく首を垂れているところへ、海老錠をはずし、ドンと潜り格子をついて入って来たのが、お待ちかねの藤波友衛。形どおりに片身をひらきながら、
「仙波、お調べだ、出ろ」
顎十郎は、ハッ、と頭をさげ、
「ただいま、仕度いたしております。……それはそれとして、ここに、さる御高位の方の一命にかかわるような大変な急事がございます。この通り、逃げ隠れするところもない揚屋の中へとりこめられてるのですから、わたしの
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