今晩やって来るんですか。……もう、かれこれ八ツ半。間もなく夜も明けますが、今もって姿を現さないところを見ると、少々心細いことになりましたね。……まったく、こりゃあ、気が気じゃねえ」
 顎十郎は、フンと鼻を鳴らして、
「相変らず、びくしゃくした男だの。なにもそう気をもむにゃア当らない。おれは神でもなければ仏《ほとけ》でもない、やり損いもあろうし、しくじりもあろう。そんなことを怖がって仕事が出来るものか。……見ん事しくじったら、おれがひとりでひっしょって、坊主になってやるから安心しろ」
「あなたを坊主にして見たってしょうがない。それより、テキがやって来てくれたほうが、よっぽど有難いんで……」
「せっかくだが、ひょろ松、ひょっとすると、テキなんぞやって来ないな」
「えッ、なんですって」
「おれは、テキがやってくるなんてひとことも言ったおぼえはないぞ。ただ、和泉屋が今晩やられると言っただけだ」
「こりゃあ、驚いた……すると、これだけの人数を伏せたのは、いったい、どういうことになるんで」
「つまるところ、ぼくよけ[#「ぼくよけ」に傍点]だ」
「ぼくよけ……」
「敵を油断させるための遠謀深慮さ」

前へ 次へ
全34ページ中25ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング