もろとも箱根の宮城野ですりかえて一万二千両。……このへんは序《じょ》の口《くち》で、まだまだ後があるンですが、そういうふうに息をひそめていて二年目ぐらいずつにどえらい大きな仕事をする。乾児《こぶん》にまたいっぷう変ったやつがいて、中でもおもだったのは毛抜《けぬき》の音《おと》、阿弥陀《あみだ》の六蔵、駿河《するが》の為《ため》の三人。一日に四十里《しじゅうり》歩くとか、毛抜で海老錠《えびじょう》をはずすとか不思議な芸を持ったやつばかり。手下のかずも五十人はくだるまいというンですが、どうして伏鐘というかというと、まだ若いころ芝の青松寺《せいしょうじ》の鐘楼《しょうろう》の竜頭《りゅうず》がこわれて鐘が落ちたことがある。そのとき重三郎はつれられて行ったやつに、おれは伏鐘の中に入って、お前がポンと手をうつうちに抜けだして見せる。見事ぬけだしたらおれに拾両よこすかと言った。そんなことは出来るわけのもンじゃないが、見事やったらいかにも拾両だそう、で、重三郎を伏鐘の中へ入れ、ポンと手をうつと、そのとたん、重三郎はそいつのうしろに立っていて、おれは、ここにいるよと言ってニヤリと笑ったという、そういう
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