つづいて、繩上《なわあげ》の丑松《うしまつ》、
「おれも行こう」
こうなると怖いもの見たさで、船には楫取の和次郎《わじろう》をひとり残してわれもわれもとゾロゾロと遠島船へ乗りうつる。
平吉の言った通り、まさに、奇妙なことが始まっていた。
船極印《ふなごくいん》を調べると、まぎれもない御用船《ごようぶね》。
安政三年|相州三浦三崎《そうしゅうみうらみさき》で船大工《ふなだいく》間宮平次《まみやへいじ》がつくり、船奉行|向井将監《むかいしょうげん》支配、御船手|津田半左衛門預《つだはんざえもんあずかり》という焼判《やきばん》がおしてある。
三番船梁に打ちつけてある廻送板《まわしおくりいた》を見ると、最後に江戸を出帆したのが、四月十五日としるされてある。ちょうど二日前に品川をでた船。
胴の間の役人|溜《だま》りに入って、板壁の釘にかかっていた送り帳を見ると、江戸を出るとき、この船にはたしかに二十三人の人間が乗っていた。
伊豆七島へ差しおくる囚人が七人。役人は、御船手、水主《かこ》同心|森田三之丞《もりたさんのじょう》以下五人。
乗組のほうは、船頭金兵衛、二番水先頭|与之助《よのすけ》、帆係下一番《ほがかりしたいちばん》猪三八《いさはち》、同|上一番《かみいちばん》清蔵《せいぞう》、楫取|弥之助《やのすけ》、ほかに助松《すけまつ》以下|船子《ふなこ》、水夫《かこ》が六人。ところで、その二十三人は、ただのひとりも船にいない!
遠島船はいうまでもなく囚人をつんで行く船だから特別なつくりになっている。
船は二枚棚につくり、上棚の内部を、表《おもて》の間《ま》、胴の間、※[#「舟+夾」、186−上−16]《はざま》の間、艫《とも》の間の四つに区切り、胴の間は役人溜りで弓矢鉄砲などもおいてある。表の間は船頭溜り、※[#「舟+夾」、186−上−17]の間は船頭と二番頭の部屋で、艫の間は釜場《かまば》になっている。下棚の艫の間は牢格子《ろうごうし》のついた四間四方の船牢になり、表の間と胴の間は船倉で島々へおくる米、味噌、雑貨などを積みこむ。
漁師たちは手わけをして、ひと手は上棚、ひと手は下棚にくぐって隈なくさがしまわったが、依然としてどこにもひとの姿はない。しまいには、下棚の底板を剥がして敷《しき》や柱床《はしらどこ》までのぞきこんだが、鼠一匹でてこなかった。
帆
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