ろで、これだ、と思いついた。なるほど、そう言や、尺八の符本にある符牒だ。……ただ、のべったらになっていたのでわからなかったのだ。大黒絵をその師匠に見てもらうと、これは尺八の符じゃありません。一節切の符だという。……それから、日本橋の本屋へ行って、一思庵《いっしあん》の『一節切温古大全《ひとよぎりおんこたいぜん》』というのを買い、指孔《ゆびあな》のように上から五つずつ区切って読んでみると、ちゃんと文句になる。
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○○●●● ヒ、●●○●○ ル、●○○○○ ヤ、○○○○○ ツ、●○○○○ ヤ、●○○●○ タ、●●●●○ ホ、○●○○○ リ
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「昼、未《やつ》、弥太堀……」
といって、てれくさそうに、頭に手をやり、
「ところで、藤波友衛のほうが、おれより五日ばかり早かった。……ただ、藤波のやつは絵すがたの絵ときが出来ずに、いきなり弥太堀の大黒堂だと思いこんでしまった。藤波だって、矢羽根も四匹の鼠もちゃんと見ていたことだろうが、あのまぬけな絵ときが出来なかったのは、あいつの頭があまり鋭すぎたからだ。……たとえば、南部《なんぶ》の絵暦《えごよみ》を、学者よりも百姓のほうが、じょうずに読む。……しょせん、頭が正直で、まよわずにあるがままにものを見るからだろうて。ともかく、早く大黒屋をひっつつんでしまえ」
ひょろ松は、そっと水茶屋の裏口からぬけだすと、長い脛でぼんのくぼを蹴あげるようにしながら、むさんに八丁堀のほうへ駈けて行った。
弥太堀の大黒屋に集っていたのは、一団の主領かぶで、栗田口新之丞《あわたぐちしんのじょう》、石丸茂平《いしまるもへい》、佐田長久郎《さたちょうくろう》、杉村友太郎《すぎむらともたろう》、山谷勘兵衛《やまやかんべえ》、以下十名、いずれも勤王くずれの無頼漢《ならずもの》。
勤王を名にして、木曽路や東海道で強盗をはたらいていた連中。咸臨丸の金、二十五万両が東海道をくだることを聞きこみ、江戸の悪者どもをかりあつめて海道に配置し、自分らはここで勢揃いをし、用金の後を追って、まさに発足《ほっそく》しようとしている危《きわ》どいところだった。
底本:「久生十蘭全集 4[#「4」はローマ数字、1−13−24]」三一書房
1970(昭和45)年3月31日第1版第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2007年12月11日作成
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