いうやつ。
 顎十郎は、泰然《たいぜん》として懐手。長い顎をしゃくるようにしながら、
「むかし、俺が甲府勤番にいたとき、俺の前で、うっかり顎を撫でたばっかりに、ふたりまで命を落したやつがいる。いつもおどしだと思っちゃあいけない。……が、そんなこたア、まあどうでもいい。藤波さん、さっきの話のつづきをしようじゃあないか」
 といって、言葉の調子をかえて、
「手前はずいぶんお節介だが、それはそれとして、手を引けの、引っこめのと、きいたふうなことを言ったことは、今までただの一度もない。それを、こういうからには、よくよくわけのあることだと思ってください。……あなたはなにもご存じないが、真実のところ、この仕事ではたしかにあなたの分《ぶ》が悪い。はっきりいうとあなたは飛んでもない奴の味方をしているんです。といったばかりでは、おわかりないでしょうが、あなただって馬鹿じゃあない。ことの起りは、お家騒動にからまっているということは、あなたも御承知のはず。……夫婦喧嘩は犬も喰わないというが、お家騒動となると、こいつアいっそう手がつけられない。どっちの味方をしたって、どっちみち、良くはいわれない。うっかりする
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