アよく知っていますが、しかし、いつまでこんなことを言っていたってしょうがない。……実のところ、こんどの件には、いろいろあなたのご存じないことがあるんです」
「それは、いったい、どんなことです」
 顎十郎はうなずいて、
「さよう、それをお話しするとわかっていただけると思うんだが、どうにも申しあげるわけにはゆかない」
 藤波はいらだって、
「ねえ、仙波さん、決着《けっちゃく》のところ、私にどうしろというんです。うるさいいざこざはぬきにして、あっさりそこだけを伺おうじゃないか」
 顎十郎は、トホンとした顔つきで藤波を見かえしながら、
「ザックバランにいうと、この事件から手をひいていただきたいんです」
 藤波は千太のほうへ振りかえって、
「千太、聞いたか。先生が奇抜なことをおっしゃっていられる。……お前らのでる幕じゃないから、引っこみをつけろというんだが、いったいどうしたもんだろうな」
 千太はせせら笑って、
「えへへ、ご冗談、箱根山からこっちにア化物あ出ないという。引っこみをつけるなア、こっちのこっちゃあねえ、そこに突っ立ってる顎化けのほう……」
 顎化け……と、しまいまでは言いおわらなかっ
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