らす。正直のこうべに神やどる。身投げをしようという一期のおりに、手前のような交際《つきあい》のひろい男に出っくわすなんてえのも、これもみな美徳のむくい。とても五百石とはいかねえが、一家七人|安気《あんき》に喰えるようなところへ、取りつかせて見せます。身装《なり》は悪いが、これでなかなか強面《こわもて》がきく。大名も小名も、みな手前の朋友のようなもんです。かならずなんとかしますから、もうこんな不了見を起しちゃいけませんぜ。……この三日のあいだに、吉左右《きっそう》をお聞かせしますから、当にして待っていてください」
 と、いつになく、親身《しんみ》に老人をなぐさめ、手をとって小村井の往還《おうかん》まで送ってやって、また、さっきの岸で釣糸をたれようとしていると、中川の下流から、
「ヤッシヤッシ」
 と、漕ぎのぼって来た二艘の早船。細長い、薬研《やげん》づくりの、グイと舳《みよし》のあがった二間船。屈強《くっきょう》の船頭が三人、足拍子を踏み、声をそろえて漕ぎ立て漕ぎ立て、飛ぶようにしてやって来る。
 見ると、先の船に乗っているのが、藤波友衛。
 あまり物々しいようすに、さすがの顎十郎もあっけにとられて眺めていると、ドッと歓声をあげて蘆のあいだに舳をつっこんだ早船から、ヒラリと飛びおりた藤波が、折蘆を蹴わけるようにして近づいて来る。
 顎十郎は、竿をすてて立ちあがり、
「いよウ、これは、藤波さん」
 藤波は、悪く丁寧なお辞儀をして、
「あなたが、大利根すじへ釣りに行かれたというので、実は、ゆうべから南北のお船手とわたくしがよっぴて、あなたの行方を探しまわっていたのです。……いや、どうも骨を折りましたよ。……ところで今朝の寅刻《ななつ》、こりゃア、いよいよいけないということになって、落胆して、スゴスゴ中川まで漕ぎもどったところ、十間橋の船宿のおやじが、仙波さんなら、すぐこの川上にいるという。まさに行灯したの手くらがり……」
 相も変らず、しゃくるような調子でいって、それから、手みじかにきょうの捕物御前試合のしだいを物語ると、切長の眼のすみから顎十郎をねめつけるようにしながら、
「きょうこそは、どうでもあなたを叩きふせてやろうと思いましてね、ゆうべから死に身になって探していたんだが、ここでつかまえることが出来たのはなにより重畳《ちょうじょう》。仙波さん、きょうは遠慮をしないから覚悟をなさい」
 うそぶくようにして、はは、は、と笑った。

   鶴談義

 叔父が用意してきた弁慶格子の半纒に割羽織。すっかり鷹匠の支度になって、藤波とふたりで代地の入り口に控えているところへ、小村井のほうから蹄《ひずめ》の音がきこえ、
「御成りイ」
 という声とともに行列は早くも代地の木橋へかかる。将軍は藤色の陣羽織に金紋漆塗の陣笠。従者はばんどり羽織に股引、草履のいでたち。老中、若年寄、近侍をふくめて三十騎。寄垣《よせがき》前で下馬すると、将軍はお仮屋のうちで少憩。辰の下刻、鳥見役の案内で狩場に立ちいでる。
 いちめん茫々とひろい草地の上のところどころに葭簀張《よしずばり》のかこい場がある。はるかむこうの川入りの池のそばで、十二三羽の鶴が長い首をふって歩きまわっている。
 鷹匠頭が精悍な眼をして大切斑《おおきりふ》の鷹を拳《こぶし》にすえて将軍の前に進みそれを手わたしすると、鳥見役は大きな日の丸の扇を高くかざしながら池の鶴のほうに寄って行って、
「あ、ほい……あ、ほい……」
 と、声をかける。
 たちまち、一羽立ち二羽立ち、ざあっと羽音も清々《すがすが》しく、冬晴れの真ッ青な空へ雪白をちらして、応挙《おうきょ》の千羽鶴《せんばづる》のように群れ立つのへ、
「ピピイッ」
 鋭い口笛につれて、将軍の拳から羽音もするどく舞いあがった一羽の大鷹。空をななめに切ってその中へ飛びこむ。つづいて、鷹匠の手からも助《すけ》の鷹が二羽三羽。……白黒の一点と遙かになり、また池の汀《みぎわ》まで舞いおり、飛びかい、追いかけ、卍巴《まんじともえ》のように入りみだれる。
 鷹匠は鷹笛を吹いてしきりに加勢する。そのうち、ひときわ大きな白鶴の首に喰いさがった大鷹。切羽で鶴の頭を打ちすえ打ちすえ、だんだん下へおりてくる。地上十五尺ほどのところで、いちど鶴を離してサッと大空へ舞いあがると、たちまち石のように鶴の上へ落ちかかり同体となって代《しろ》のうえへ落ちる。
「ピョピョ、ピョピョ」
 と、呼びかえしの早笛。鷹はぐったりとなった鶴を離して鷹匠の拳にもどる。
「あっぱれ」
 どっという歓声のうちに、鷹匠が鶴をかかえて将軍の御前の白木の台にすすみ、小刀で鶴の左腹をかききり、血は血桶《ちおけ》へとり、臓腑はぬきだして鷹にあたえ、塩を腹につめて手早くそのあとを縫いあげ白木の櫃《ひつ》におさめて封印をほどこす。櫃は惣黒金紋《そうぐろきんもん》の駕籠に乗せられ、その場から京都に発《た》つ。……これで、午餐。
 さて未《ひつじ》の上刻となり、いよいよ古今|未曽有《みぞう》の捕物吟味御前試合。
 将軍は寄垣口の床几にかかり、左右に従行一同がいならぶ。
 青垣口の、白木の台の上には『瑞陽』の死骸が横たえられ、それを左右から取りつめるようにしてふたりの吟味役、藤波と顎十郎が床几にかける。吟味聞役の遠江守は南面、審判役の阿部伊勢守は北面してひかえる。
 籤先番は藤波友衛となり、一礼して台にすすみ、打ちかえし打ちかえし、羽交の裏表、口内、爪先にいたるまでとくと検《あらた》め、しずかに引きさがってくる。つづいて顎十郎の番。藤波の緊張した物ごしにひきかえ、こちらは相も変らずのんびりとしたようす。まるで石ころでもころがすように無造作にとっくり返し、ひっくり返し、気がなさそうに眺めていたが、なんだつまらぬといった顔で、のそのそと床几へもどってくる。
 遠江守は、膝に白扇をついて、
「お鶴あらためがおわりましたらば、ただちに吟味にかかる。心得はすでに老中より申し聞かされたはず。相対《あいたい》異論あらば討論さしつかえない。籤先番により、まず藤波友衛、吟味次第を申して見よ。……さらば相たずねる。丹頂のお鶴、これなる『瑞陽』は自然に死したるものか、あるいは、人手にかかりたるものか。そちの推察はなんとじゃ」
 藤波はキッと顔をあげ、遠江守をにらみつけるようにしながら、
「これなるお鶴は、まさしくひと手にかかりたるものと存じます」
「その次第は?」
「はッ。……ただいま傷口をあらため見まするところ、一見、水蛭の咬み傷の如くには見えまするが、実は水鳥を狩るにもちいる※[#「知」の「口」に代えて「舟」、第4水準2−82−23]《くろろ》の鏑形《かぶらがた》の鏃《やじり》によりできたる傷。そもそも水矢の鏑には、普通には燕尾《えんび》、素槍形《すやりがた》、蟹爪《かにづめ》のいずれかをもちいますのが方式。しかるに、この傷は猪目透《いのめすかし》二字切となっております。水矢に二字切の鏑をもちいまするは、ただひとつ伴流の手突《てつき》水矢にかぎったことでございます。……心の臓にふれて、しかもこれを深く貫《つらぬ》かず、さりげなき掠《かす》り傷の如くに見えますのは、鶴に近づいて手突矢をもって突いたゆえにございます」
「なるほど、事理いかにも明白。手口はそれで相わかったが、しからば、いかなる理由によって、このようなる益なき殺傷をいたしたものか存じよりがあるか」
 藤波は昂然《こうぜん》と叩頭《こうとう》して、
「……『菘翁随筆《しゅうおうずいひつ》』に、『鶴を飼はんとすれば、粗食を以て飼ふべし。餌以前のものより劣れば、鶴は喰《は》まずして死す』と見えております。手前考えますところ、このお飼場うちにて、なにものか、『瑞陽』のお飼料の精米を盗み、稗《ひえ》、籾《もみ》その他のものをもって代えおるものがあるためと存じます。……鶴御成が明日に切迫いたし、上様御覧のみぎり、『瑞陽』が衰弱いたしおるため、おのが悪事を見あらわされんことを恐れ、水蛭の歯形によく似たる、猪目透二字切の手突矢にて突きころし、水蛭の咬み傷によって死したる如くによそおったものに相違ございません」
 いならぶ床几から、どっと嘆賞の声が起る。
 遠江守は、顎十郎にむかい、
「仙波阿古十郎。藤波友衛の推察はただいま聞きおよんだ通り。そちの見こみは、なんとじゃ。異論にてもあらば申して見よ」
 顎十郎は、どこ吹く風と藤波の弁舌を聞き流していたが、この問をうけると、急にへらへらと笑いだし、
「いや、どうも、藤波氏の名論卓説には、手前もうっとりいたしましたが、御高弁にかかわらず、まるきりの見当ちがいかと存じられます」
「はて。その次第は」
 顎十郎は、とぼけた長い顎を、風にふかれたへちま[#「へちま」に傍点]といったぐあいに、ブラブラとぶらつかせながら、
「手前、つらつらと考えますところ、上の御威勢はあまねく、いわんや、このかこい場などにて御寵愛のお鶴の餌を盗むがごとき不心得者はいようとは存じられませぬ。……かりに、そのような者があったとしましたならば、このご聖代、……世にこんなあわれな話はございません。百生《ひゃくしょう》の長たる人間がお鶴の餌の精米をくすねて家に運ばねばならぬというには、よくよく困窮の事情があるものに相違ございません。さだめし、丹頂のお鶴も憐れと思ったことでしょうから、お餌の米が稗になろうと、粟になろうと、喜んでついばんだにちがいない。このへんが霊鳥の霊鳥たるところ。……まして、いわんや、上様お手飼のお鶴。上の御仁慈《ごじんじ》をうけつがぬことはないはず。己《おのれ》のために、尊い人間の一命を失わせるようなことはいたしますまい。藤波氏のお意見ではありますが、このかこい場に餌盗びとなどはこれなく、したがって水矢の、手突矢のということは、まったくいわれのないことと存じます」
 このとき、はるか下座にひかえた下飼人の中で、わッと声をあげて泣き伏したものがある。顎十郎は、そんなことに頓着《とんじゃく》なく、いっそう声をはりあげ、
「そもそも、鶴は凡禽《ぼんきん》凡鳥ならず。一挙に千里の雲を凌《しの》いで日の下に鳴き、常に百尺の松梢《しょうしょう》に住んで世の塵《ちり》をうけぬ。泥中に潜《せん》してしかも瑞々《ずいずい》。濁りに染まぬ亀を屈《くつ》の極といたし、鶴を以て伸《しん》の極となす。……『古今註《こきんちゅう》』に、『鶴は千歳《せんざい》にして蒼《そう》となり、二千歳にして黒《こく》、即《すなわ》ち玄鶴《げんかく》なり。白鶴《はっかく》もまた同じ。死期を知れば、深山幽谷《しんざんゆうこく》にかくれて自《みずか》ら死す』とございます。……見うけるところ、『瑞陽』のお鶴は、白鶴。すでに二千年の歳をへ、上に齢をゆずって自ら死したるものに相違ございません」
「その証拠は?」
「その証拠は、これなる胸もとの二の字の傷。これは、手突の鏑矢などにて出来たものではございません。『瑞陽』のお鶴が嘴《くちばし》をもって自ら心の臓をついたものに相違ありません。……いやさ、傷口に嘴などをおあわせになる必要はない。傷口が嘴に相応しようとしまいと、正にただいま申しあげた通りにちがいありませぬ。……齢を鶴よりゆずらせられ、上の御長寿は千歳万歳。まことに、祝着しごくにございます」
 阿部伊勢守が、おお、と立ちあがる。それとほとんど同時に、将軍は床几の上でサラリと白扇をひろげ、感悦ななめならぬ面もちで、
「いずれも、あっぱれなるいたし方、ほめとらする。『瑞陽』の吟味は、もはやこれまで。両人ともどもに褒美をとらせよ。いや、めでたいの」



底本:「久生十蘭全集 4[#「4」はローマ数字、1−13−24]」三一書房
   1970(昭和45)年3月31日第1版第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2007年12月11日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制
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