ございます」
「なるほど、事理いかにも明白。手口はそれで相わかったが、しからば、いかなる理由によって、このようなる益なき殺傷をいたしたものか存じよりがあるか」
藤波は昂然《こうぜん》と叩頭《こうとう》して、
「……『菘翁随筆《しゅうおうずいひつ》』に、『鶴を飼はんとすれば、粗食を以て飼ふべし。餌以前のものより劣れば、鶴は喰《は》まずして死す』と見えております。手前考えますところ、このお飼場うちにて、なにものか、『瑞陽』のお飼料の精米を盗み、稗《ひえ》、籾《もみ》その他のものをもって代えおるものがあるためと存じます。……鶴御成が明日に切迫いたし、上様御覧のみぎり、『瑞陽』が衰弱いたしおるため、おのが悪事を見あらわされんことを恐れ、水蛭の歯形によく似たる、猪目透二字切の手突矢にて突きころし、水蛭の咬み傷によって死したる如くによそおったものに相違ございません」
いならぶ床几から、どっと嘆賞の声が起る。
遠江守は、顎十郎にむかい、
「仙波阿古十郎。藤波友衛の推察はただいま聞きおよんだ通り。そちの見こみは、なんとじゃ。異論にてもあらば申して見よ」
顎十郎は、どこ吹く風と藤波の弁舌を聞き流していたが、この問をうけると、急にへらへらと笑いだし、
「いや、どうも、藤波氏の名論卓説には、手前もうっとりいたしましたが、御高弁にかかわらず、まるきりの見当ちがいかと存じられます」
「はて。その次第は」
顎十郎は、とぼけた長い顎を、風にふかれたへちま[#「へちま」に傍点]といったぐあいに、ブラブラとぶらつかせながら、
「手前、つらつらと考えますところ、上の御威勢はあまねく、いわんや、このかこい場などにて御寵愛のお鶴の餌を盗むがごとき不心得者はいようとは存じられませぬ。……かりに、そのような者があったとしましたならば、このご聖代、……世にこんなあわれな話はございません。百生《ひゃくしょう》の長たる人間がお鶴の餌の精米をくすねて家に運ばねばならぬというには、よくよく困窮の事情があるものに相違ございません。さだめし、丹頂のお鶴も憐れと思ったことでしょうから、お餌の米が稗になろうと、粟になろうと、喜んでついばんだにちがいない。このへんが霊鳥の霊鳥たるところ。……まして、いわんや、上様お手飼のお鶴。上の御仁慈《ごじんじ》をうけつがぬことはないはず。己《おのれ》のために、尊い人間の一命を失わせ
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