だが、それだと言って、立馬に罪がないとは言いきれない。長崎ふうのけん凧をつくって子供にあたえるくらいなら、そうとう凧に心得のあるやつ。行灯凧だってあげるだろう。……夜のうちに、自分で行灯凧をあげ、朝になって、御用金が金座を出る間ぎわに、間もなくこれから出るぞという合図に、こんどは、せがれに白地に赤二本引きの凧をあげさせた……」
 顎十郎は、首をふって、
「どうもいけませんな。凧をつくる男なら、金座にもうひとり名人がいる。……それは、やはりお金蔵方のひとりで、石井宇蔵《いしいうぞう》という男です。そいつが金座の子供の烏凧をぜんぶ作ってやっている。……これは余談ですが、手前に言わせれば、芳太郎の凧は合図でもなんでもありゃしない、いわんや、結び文などはもってのほか。……あなたは、その凧に結び文をつける約束ができていて、石船のほうでそれを雁木にひっかけて持って行ったのだと言われる。……ところで、そんなことは、まるっきりなかったんです」
 藤波は含み笑いをして、
「ほほう、まるで、見ていたようなことを言う。……そんな大きな口をきくからには、なにか、たしかな証拠でもあるのでしょうな」
「あればこそ、こんなふうにも申しているんです。……その証拠をお目にかけますから、まあ、こちらへいらっしゃい」
 顎十郎は先に立って厩を離れ、矢場の※[#「土へん+朶」、第3水準1−15−42]《あずち》のうしろをまわって塀ぎわのひろい空地に出ると、急に足をとめ、蟠屈《ばんくつ》たる大きな老松《おいまつ》の梢《こずえ》をさしながら藤波のほうへ振りかえり、
「芳太郎の凧が、合図でもなんでもなかったという証拠は、まず、あの通り、……芳太郎の凧は、雁木にからめて奪《と》られたんでもなんでもない。あれ、あの枝にひっからまってブラさがっています」
 指さされたほうを見あげると、いかにも、まだ紙の色もまあたらしい白地に赤二引の丹後縞のけん凧がブラさがって、ブラブラと風に揺れている。
「いかがです。金座の塀の内からは、この松は見えない。……芳太郎のほうは、れいの通り、とんび組がきて引っきって行ったのだろうと思ったのだろうが、じつは、こんな始末だったんです。……あの凧に結び文があったかないか調べるまでもない。……かりに、そうだとすると、芳太郎の凧がこんなところにひっかかっている以上、むこうへ合図が渡らないたはず[#
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