それをとりちがえたって、たいしてあなたの顔にかかわるというわけでもない」
と、わからないことを言っておいて、急に切って放したようなようすになり、
「叔父上、……それから、ひょろ松。……あなた方は、ついこの頃よく江戸の市中に売りに来るようになった『石見銀山鼠《いわみぎんざんねずみ》とり』……石見国邇摩郡《いわみのくににまのこおり》の石見銀山の※[#「譽」の「言」に代えて「石」、第3水準1−89−15]石《よせき》からつくった殺鼠剤《ねずみとり》、これがひとの口にはいると、虎列剌と寸分《すんぶん》たがわぬ死に方をするということをご存じか」
きょろりと、二人の顔を眺めて、
「赤斑も出れば、痴呆面《こけづら》にもなる。手足の硬直《こわばり》、譫言《うわごと》、……米磨汁《とぎじる》のようなものを痢《くだ》し、胆汁を吐く。息はまだ通っているのに、脈はまるっきり触れない。……なにもかにも同じなんだ。……つい十日ほど前、砂村《すなむら》で、子供が餅についた鼠とりを知らずに喰った。これを診《み》たのが、導引並《どういんなみ》の若い医者だが、あまり虎列剌と症状が同じなのに驚いた、という噂話が、中間部屋で寝っころがっているうちに、なんとなく手前の耳にはいった」
と言って、言葉をきり、
「手前は堺屋へ行ったわけではない。なにもわざわざ出かけて行かなくともちょっと理詰めにしてみると、このくらいのアヤはわけなくとける。……これはピンからキリまで手前の推察だが、大きなことを言うようだが、けっして、これにははずれはない。……思うに、堺屋では、石見銀山を買った。ご承知の通り、この鼠とりは蛤っ貝の中に入っている。それを飯たきがへっついの近くの棚にのせておいたに違いない。そして、その棚の近くには鼠の通う穴があるはずだ。嘘だと思うなら行って調べてごらんなさい。かならずある。……ここまで陳ずれば、あとはくどくど説くがものもねえのだが、どうして、こんな間違いが起きたかと言えば、ねずみが棚を走りまわって、殺鼠剤の入った蛤っ貝を下に蹴り落した。運悪くへっついの近所に、晩飯の蛤汁にする蛤が水盥《みずだらい》にでも入れておいてあった。……飯たきが夕飯の仕度にかかって、ふと見ると蛤がひとつ水盥からはね出している。……おや、ここにもひとつ、というわけで、手ッ暗がりの台所で、そいつを何気なく鍋の中に拾いこんだという
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