》で、それがふるいつきてえほどいいのだと。面白れえじゃねえか、それから、どうした」
 貧相な撥鬢奴《ばちびんやっこ》は、すっかり恐れてしまって、首に手をやって、
「えへへ、どうも、とんだことを……」
 藤波はいよいよ蒼ずんで、
「なにも尻込みをすることはなかろう。……それとも、俺がいちゃ気色《きしょく》が悪くて話も出来ねえか」
「と、とんでもない」
 と、息もたえだえ。
 藤波は、唇の端だけで、もの凄くニヤリと笑って、
「そうか。飛んでもねえということを知っていたのか。なら、まだ人間並みだ。俺もいい下廻りを持ってしあわせだ、ふふん」
 中で年配なのが、おそるおそる顔をあげて、
「なにか、あッしども、しくじりでも……」
「笑わせるな。しくじり[#「しくじり」に傍点]なんて気取った段じゃねえ。……なんだ、今度のざまア。てめえら、それで生きているのか、性があるのか」
「な、なんですか、一向にどうも……」
「ざまア見ろ、そんなすッ恍《とぼ》けたことを言ってやがるから、しょうべん組などに出しぬかれるのだ。おい、俺の面をどうする」
「ですから、どういう……」
「聞きたけりゃァ言って聞かしてやる。……番代りの晦日《みそか》に伝馬町《てんまちょう》の堺屋《さかいや》へ検死に行ったのはどいつだ。……嘉兵衛と鶴吉を虎列剌《ころり》と判定《きめつけ》てうっそり帰って来たのは、いってえどいつだ。言え、この中にいるだろう」
 大風に吹かれた下草のようにハッとひれ伏してしまう。
 藤波は、キリキリと歯軋《はぎし》りをして、
「いかに虎列剌がこの節の流行物《はやりもの》でも、吐瀉下痢《はきくだ》して息をひきとれば、これも虎列剌ですはひどかろう。いってえ、おめえらの職業《しょうべえ》はなんだ。……おい、よく聞け。呉服橋《ごふくばし》ではぬからずに手代の忠助をひっ撲《ぱた》いて、わたくしが毒を盛ったのでございますと泥を吐かしたそうな。……当節、番所は呉服橋だけにある。南じゃ朝っぱらから色ばなし。……いや、見あげたもんだ、感じ入ったよ」
 癇性に身を反らして、ひれ伏す岡ッ引どもを、骨も徹れとばかり睨みつけていたが、ふと、眼を外《そ》らして、御用部屋の奥のほうで、頭から絆纒を引ッかぶって寝ている男を見つけると、クヮッと眼尻を釣りあげて、
「だれだ、そこらで寝ころんでいるやつア、面ア出せ、おい」
 ゆっく
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