くで千鳥に縁のある地名といえば」
 ひょろ松は考えていたが、すぐ、
「……千鳥ガ淵……」
 顎十郎は、手を拍って、
「いや、ご名答。……俺のかんがえるところじゃ、隅田べり、千鳥ガ淵の近くで女どもが押しこめられ、髪の毛と馬の尻尾でひどい目に逢いながら呉絽を織らされている。……その中で、智慧のある女が、なんとかして救い出してもらいたいと、自分たちが押しこめられているところを教えるために、あんなものを帯の端に織出した」
「なるほど、そんなことでもありましょうか、こりゃ、いかにも大事《おおごと》だ。……でも、阿古十郎さん、あなた、あの都鳥を見ただけで、どうして、それだけのことを洞察《みぬ》きました」
 顎十郎は、苦笑して、
「それは、いまわかったんだ」
「えッ、いま?」
「昨日、花世のところで都鳥を見たときは、千鳥ガ淵とまでは察しられなかった。……ところでな、いま、比丘尼の死骸を見たんで、なにもかも、いっぺんに綾が解けた」
「それは、また、どうして?」
「あれは身投げでもなんでもなくて、死骸をあそこまで運んで来て身投げに見せかけたということは、水を飲んでいないことでも、また、草履の裏に土がついていないことでもよくわかる。……土どころじゃねえ、よく調べて見ると、魚の鱗がついている。……こりゃ、大川のほうから舟に積んで鎌倉河岸まで持って来たんだということがわかる。……隅田川で、都鳥で、……そこで、千鳥ガ淵よ」
「でも、千鳥ガ淵で、女たちが呉絽を織らされているだろうというのは?」
「お前、比丘尼の手を見たか」
「手がどうかなっていましたか」
「手に筬胼胝《おさだこ》ができている。……比丘尼の手なら撞木擦《しゅもくず》れか数珠《じゅず》擦れ、筬胼胝というのはおかしかろう。……どうだ、わかったか」
「わかりました。……つまり、誘拐《かどわか》された上、自分の髪で呉絽を織らされる……」
「まず、そのへんのところだ。……娘の服装《なり》で青坊主では足がつくから、尼に見せかけようというので、あんな木蘭色の衣を着せて投げ込んだ。……よほど狼狽てたと見えて衣が左前……」
「いや、これは驚きました」
「大川端の千鳥ガ淵へ行って、あの辺を捜せば、きっと、女どもが呉絽を織らされている家が見つかる。……言うまでもなく、こりゃ長崎屋の仕業なんだが……」
 ひょろ松は、腰を浮かして、
「そんなら、千鳥ガ淵なんかを調べるより、長崎屋を引挙げるほうが早道です」
 顎十郎は、へへ、と笑って、
「長崎屋は、もういない」
「えッ」
「さっき、通りがかりにチラと見たが、すっかり大戸をおろしていた。……素性を洗えば相当な大ものだったんだろうが、惜しいことをしたな」
 ひょろ松は、がッかりして、
「もう、逃げましたか」
「なにを言っている、つまらねえ御用聞だ。素人の俺に逃げましたかと聞くやつはねえ」
 ちょうど、そこへ出来てきた誂え物を押しやって、ひょろ松は、そそくさと立ち上り、
「じゃ、これからすぐ行って、千鳥ガ淵のあたりを……」
 顎十郎は、手で押えて、
「まあ、慌てるな、もう一つ、話がある」
「へい」
「……れいの馬内侍の辞世だが、あれには俺もかんがえた。……いや、どうも、だいぶ頭を捻《ひね》ったよ。……ひょろ松、あの辞世には、やはりわけがあったんだ」
「おお、それは、どういう……」
「馬の尻尾を切ったぐらいで、腹を切るにはおよばねえ。裏には、なにか深い仔細があるのだと睨んだ。……その仔細までは、俺にはわからねえが、あの辞世で、なにを覚らせたがったか、すぐわかった。……夢にもつげむ、思ひおこせよ。……歌のこころは、こうだ。……なにか大事なものを隠した衣類が、どこかに置いてある、それを捜し出してくれという謎だ」
「なるほど」
「……渡辺の家は神田の小川町《おがわまち》。……衣類のある場所は『かはかつや』……。たぶん、質屋か古着屋ででもあるのだろう。『かはかつや』は川勝屋とでも書くのだろうか」
 ひょろ松は、頓狂な声を出して、
「あります、あります、小川町一丁目の川勝屋といったら、大老舗《おおしにせ》の質屋です」
「それだ。……そこへ行って、渡辺が質に入れた着物をしらべて見ると、なぜ馬の尻尾で腹を切ったか、くわしくわかるにちがいない」

 その夜、庄兵衛とひょろ松が、尼寺のその巣を突きとめ、踏みこんで見ると、どこからか機《はた》を織る筬の音と低い機織唄がきこえて来る。
 尼寺の床下が、広い機織場になっていて、牢造りになった暗い穴蔵で、三十人ばかりの青坊主の女が、馬の落毛の撚《より》糸を経糸にし、自分らの髪の毛を梳きこんで呉絽を織らされていた。これらはみな長崎屋市兵衛とその一味が近在の機織女を誘拐して来たものだった。
 渡辺利右衛門のほうには、気の毒な話があった。
 ひょろ松が、顎
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