なんかを調べるより、長崎屋を引挙げるほうが早道です」
顎十郎は、へへ、と笑って、
「長崎屋は、もういない」
「えッ」
「さっき、通りがかりにチラと見たが、すっかり大戸をおろしていた。……素性を洗えば相当な大ものだったんだろうが、惜しいことをしたな」
ひょろ松は、がッかりして、
「もう、逃げましたか」
「なにを言っている、つまらねえ御用聞だ。素人の俺に逃げましたかと聞くやつはねえ」
ちょうど、そこへ出来てきた誂え物を押しやって、ひょろ松は、そそくさと立ち上り、
「じゃ、これからすぐ行って、千鳥ガ淵のあたりを……」
顎十郎は、手で押えて、
「まあ、慌てるな、もう一つ、話がある」
「へい」
「……れいの馬内侍の辞世だが、あれには俺もかんがえた。……いや、どうも、だいぶ頭を捻《ひね》ったよ。……ひょろ松、あの辞世には、やはりわけがあったんだ」
「おお、それは、どういう……」
「馬の尻尾を切ったぐらいで、腹を切るにはおよばねえ。裏には、なにか深い仔細があるのだと睨んだ。……その仔細までは、俺にはわからねえが、あの辞世で、なにを覚らせたがったか、すぐわかった。……夢にもつげむ、思ひおこせよ。……歌のこころは、こうだ。……なにか大事なものを隠した衣類が、どこかに置いてある、それを捜し出してくれという謎だ」
「なるほど」
「……渡辺の家は神田の小川町《おがわまち》。……衣類のある場所は『かはかつや』……。たぶん、質屋か古着屋ででもあるのだろう。『かはかつや』は川勝屋とでも書くのだろうか」
ひょろ松は、頓狂な声を出して、
「あります、あります、小川町一丁目の川勝屋といったら、大老舗《おおしにせ》の質屋です」
「それだ。……そこへ行って、渡辺が質に入れた着物をしらべて見ると、なぜ馬の尻尾で腹を切ったか、くわしくわかるにちがいない」
その夜、庄兵衛とひょろ松が、尼寺のその巣を突きとめ、踏みこんで見ると、どこからか機《はた》を織る筬の音と低い機織唄がきこえて来る。
尼寺の床下が、広い機織場になっていて、牢造りになった暗い穴蔵で、三十人ばかりの青坊主の女が、馬の落毛の撚《より》糸を経糸にし、自分らの髪の毛を梳きこんで呉絽を織らされていた。これらはみな長崎屋市兵衛とその一味が近在の機織女を誘拐して来たものだった。
渡辺利右衛門のほうには、気の毒な話があった。
ひょろ松が、顎
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