しくない。いよいよ苦り切って、
「ふん、そんなこと位ではしゃげるか、貴様でもあるまいし」
そっぽを向いて、またしても、そっと溜息をつく。
顎十郎は、花世から一件の話をきくと、眼をつぶって、叔父の居間の模様をぐるりと頭の中で一回転させただけで、この紛失事件の綾がすっかりわかってしまった。こんなにたわいのないことを洞察《みぬけ》ないで、よく今日まで吟味方がつとまったものだ。日頃の強情にも似ず、すっかり弱り切っている叔父のようすを見ると、気の毒でもあり可笑しくもある。
錠口でガランガランと鈴の音がする。
庄兵衛は急に生き返ったような顔つきになって縁側へ上ると、わざとノソノソと廊下のほうへ歩いて行く。
「なんだ」
小間使の声がこんなことを言っている。
「淡路町《あわじちょう》からの使いで、例のものが、笠森《かさもり》近くのさる下屋敷へ入ったことを突止めましたから、御足労ながら至急こちらまでお出かけ下さい。笠森稲荷の水茶屋でお待ち申すという口上でございます」
庄兵衛は、急に元気いっぱいになって、
「使いの者に、すぐまいると申しておけ。……外出するからすぐ着換えを出せ、早くしろ」
と、地団太《じだんだ》を踏んでわめき立てる。
顎十郎は、のっそりと座敷に上りながら、
「叔父上、なんの御用か知らないが、初午の日に笠森から使いがくるなんて、ちっとばかし眉つばものだ。こいつァ、化かされるにきまっています。悪いことは言わないからおよしなすったらどうです……どうせ、碌な目に逢いませんぜ」
と、例によってわけのわからぬことをいう。
庄兵衛は焦立《いらだ》って、続けさまに舌打ちをしながら、
「えッ、うるさい、なにをたわ言をつく。貴様の知ったこっちゃアない、黙っておれ」
「そうまでおっしゃるなら、お止めしません。せいぜい初午詣をして日頃の不信心の帳消しをするこってすな、なにか御利益《ごりやく》があるかもしれねえ」
ぶつくさ言いながら、本箱から湖月抄を取り出して、ごろりと座敷へ寝ころぶ。本を読むのかと思ったらそうでなく、それで手拍子をとりながら、寝乱れ髪の柳かげ、まねく尾花の朝帰り……と小唄をうたい出した。
庄兵衛が呆れかえって、むっとふくれて出て行くと、入りちがいに花世が入って来た。顎十郎の枕元へ坐ると、きっぱりした声で、
「顎さん、父上はおっしゃいましたか」
「いや、それが、なにも言わない。……口を締めた田螺《たにし》同様でな、毎度のことながら、手がつけられない」
「こんなところで寝っころがっていてはいけません。のんきらしい」
「はて、起きてなにをしましょうな」
「せめて、しんぱいらしい顔でもなさいな」
今年十七で、早くから母に死別れて父の手ひとつで気ままに育てられたせいもあろう。山の手の手固い武家育ちと思われぬ、ものにこだわらぬ気さくなところがあり、自分の思った通りのことを精一杯に振舞う。
これも顎十郎の奉加につく一人で、このほうは叔父ほど手数がかからない。黙って坐ると、かならずいくらか包んでわたす。どこで覚えたのか、
「すくないけど、小菊半紙でもお買いなさい」
なんて粋なことも言う。
はっきりとした面ざしで、口元に力みがあり、黒目がにじみ出すかと思われるような大きな眼で、相手をじっと見つめる。絖《ぬめ》のような白い薄膚の下から血の色が薄桃色に透けて、ちょうど遠山の春霞のような膚の色をしている。赤銅色のあの獅子噛面がどうしてこんな娘を生んだんだろう。それにしても、武家の娘になんかして置くのは勿体ない。柳橋からでも突出したら、さぞ人死が出来るだろう。……顎十郎は下から花世の顔を見上げながら、こんな不埓なことを考える。
「ねえ、花世さん、路考《ろこう》の門弟の路之助《ろのすけ》が、また新作のはやりうたを舞台でうたっているが、三絃《さみせん》に妙手《て》があるのか、いつみても妙だぜ」
花世は、つんとして、
「また、のんきらしい。……芝居どころじゃありませんてばさ、私にも隠しているから、切り出すわけにもゆきませんが、あんまりな気落ようで、いっそ、こわくッてなりませんよ」
顎十郎はのんびりと顎をなでながら、庭のほうへ眼をやり、
「なアに、案じることはない……こうしていれば、いまに、やってくる」
「なにが、やって来ます」
「いやなに、植木屋でもやって来そうな日和だってことさ」
花世は焦れて、
「冗談ばっかり。……たんとおふざけなさい。私ァ知らないから」
と、拗ねたふうに出て行く。
顎十郎は花世の足音が錠口の向うへ消えるのを聞きすますと、庭へ下りて裏木戸の方へ行き、掛桟《かけさん》を外してまた座敷へ戻って来た。
眷属《けんぞく》
それから小半刻。
煙草盆をひきよせて雲井を輪にふいていると、裏木戸があいて、出入の
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