、あなたでしたか」
「はい、いかにも、さよう……」
「えへん、あなたも、だいぶお人が悪いですな、わたしがお武家のように見えますか」
「なんと言われる」
「手前は、お武家なんという柄じゃない、お武家からにごり[#「にごり」に傍点]を取って、せいぜい御普化《おふけ》ぐらいのところです」
「いや、どうして、どうして」
「行というのは、まあ、たいていこうしたものなんでしょうが、でも、こんなところに坐っていると冷えこんで疝気《せんき》が起きますぜ。……いったい、どういう心願でこんなところにへたりこんでいるんですか」
「わしはな、ここであなたをお待ちしておったのじゃ」
「手前を?……こりゃ驚いた。手前は生れつきの風癲《ふうてん》でね、気がむきゃ、その日の風しだいで西にも行きゃあ東にも行く。……今日は自分の足がどっちへむくのか、自分でもはっきりわからないくらいなのに、その手前がここを通りかかると、どうしてあなたにわかりました」
 老僧は、長い鬚をまさぐりながら、
「この月の今日、申の刻に、あなたがここを通りあわすことは、未生《みしょう》前からの約束でな、この宿縁をまぬかれることは出来申さぬのじゃ」
「おやおや」
「わしは、前の月の十七日から、断食をしながらここであなたが通るのを待っておった。……わしがここへ坐りこんでから、今日がちょうど二十一日目の満願の日。……これもみな仏縁、軽いことではござない」
 老僧は、クヮッと眼を見ひらくと、まじろぎもせずに阿古十郎の顔を凝視《みつ》めていたが、呟くような声で、
「はあ、いかさま、な!」
 慈眼ともいうべき穏かな眼なのだが、瞳の中からはげしい光がかがやき出して、顎十郎の目玉をさしつらぬく。総体、ものに驚いたことがない顎十郎だが、どうも眩しくて、まともに見返していられない。思わず首をすくめて、
「お坊さん、あなたの眼はえらい目ですな。……まぶしくていけないから、もうそっちをむいて下さい」
 老僧は、会心の体でいくども頷いてから、
「……なるほど、見れば見るほど賢達理才の相。……睡鳳《ずいほう》にして眼底に白光《びゃっこう》あるは遇変不※[#「目+毛」、第3水準1−88−78]《ぐうへんふぼう》といって万人に一人というめずらしい眼相。……天庭に清色あって、地府に敦厚《とんこう》の気促がある。これこそは、稀有《けう》の異才。……さればこそ、こう
前へ 次へ
全20ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング