さんから、バルトリに心配するじゃないぞ、とよくいい含めておいて下さいませ。モントラシェまではまだ十日の道中ですが、途中でお腹《なか》がすいたら、畑から葡萄を盗んで喰べるなり、百姓家でパンをもらうなりしてゆけば、十日や二十日は越されぬということもありますまい。気を落とすにはあたりません。ただ、ペンギン鳥にやる鰯だけはお困りでしょうが、いよいよそれが手に入らないときは、よくいいきかせて赤蛙でも喰べさせておいて下さい。これは大切な商売物《ネタ》ですから、そのつもりでよく面倒を見てやらないと、だんだん物覚えが悪くなるから気をつけて下さい。モントラシェに行ったらば、市場の元締めによく頼んで、市場の前の広場を借りるようにして下さい。夜なかに起きて歩き廻ると、キャベツの芯《しん》や馬鈴薯が沢山落ちていてとんだ儲けものをすることがあります。キャベツの芯は馬に喰わせ、馬鈴薯は煮るなり焼くなり、そちらでいいようにして下さい。なまけて探しに出ないと大損をします。それから田舎の人達は隙見ばかりしてなかなか入って来ないものだから、地杭《ぢくい》は深く打って、テントの下に隙間のないように張って下さい。どうしても入って来ないようなら、力づくで引っ張り込まなければなりません。「呼び込み」は喇叭《ラッパ》とタンボリンを使うこと。歌の節は「ブースさんの羊は毛のない羊……」というあれがよございます。このへんではハイカラなものよりも田舎田舎したものの方がいいのです。呼び込みの口上はマドモアゼル・タヌにお願いしましょう。バルトリは口下手で、それにやたらに唾《つば》を飛ばしますから、お客様に失礼になっても困りますから。ムッシュ・コンキーチは、客から見えない垂れ幕のうしろにいて、バルトリがペンギン鳥の水槽の縁をたたいて、
「みっちゃんやア!」
と叫んだら、なるたけ憐れっぽい声で、
「|あいよウ《ヴォアラア》!」と返事をして下さい。田舎の客というものは、この声を聞くとみな正体がなくなるほど泣き出して、木戸銭のほかに、またいくらか「鰯代」を皿へ投げ込んで行ってくれます。これは三人のお惣菜《かず》代にして下さい。書きたい事は山々あれど筆にも口にも尽せません。右どうかよろしくたのみます。
[#地から3字上げ]お二人さまの命の親J
三、火事が駆け出し広場は沸騰す。風車小屋と小さな醸造場のあるリルの村の広場に、ともかくもテントを張ることにした。まだ葡萄祭りまでには十日もあって、その間は男も女も葡萄畑で大きな背負い籠をしょって、夕月の出るまでせっせと働いているから、ここで小屋を掛けても商売になるまい、というバルトリの意見であったが、その村に着いたのはちょうど夕飯時で、馬車宿の炊事場の大きな窓からは、豚のカツレツを揚げる煙りや、キャベツのスウプの匂いが街道中に流れ出して、葡萄だけでこの三日間ごまかされて来た食慾は、ぜひともここで興行をして、多少ともまとまった食物を送って寄越さなければ承知しないぞ、と威嚇したからである。
村の郵便局の前の広場には、これもあまり柄のよくない「膃肭獣《オットセイ》の曲芸」がすでに先着していて、どうやら食慾の命じるままに、ブリキ罐をたたくやら、半鐘を鳴らすやら、必死になって殺伐な呼び込みをしている様子である。
さて、小屋掛けを終り、万国旗と花飾りで幾分の装飾を加え、鼻眼鏡を掛けたペンギン鳥がタンゴ・ダンスを踊っている絵看板を掲げて、これからいよいよ呼び込みを始めようとしたが、なにしろ隣りの呼び込みは猛烈を極めて、今さら、タンボリンや笛などという手ぬるいことでは、とても及びもつかない有様である。タヌは腕組みをしてしばらくの間考えを凝らしていたが、やがて、ハタと膝を打って、
「バルトリ君、この上は仕様がないから、非常手段を用いることにしましょう。君は村中を走り廻って、人殺し! 人殺し! といって触れて歩いてくれたまえ、するとね、あたしは木戸口で、『へえ、人殺しはこちら! 人殺しはこちら!』といって、みなテントの中へ押し込んで、嘘だと気がついてもすぐ出られないように、入口のところへ馬をつないでしまうから、その間に君はミミイ嬢に演説でもステテコ踊りでもなんでもいいから手早くやらして、はい、代は見てのお戻り、って工合にするのよ。いいわね、わかったわね。……さあ、わかったらすぐ駆け出して行ってちょうだい」
「人殺し! 人殺し! というんだね?」
「そうです、ってば!」
「はい、ようがす」といって、バルトリは身体《からだ》を毬《まり》のようにはずませて、ころげ出して行った。
「コン吉君、君はまた重病のところ気の毒だけど、その幕のうしろにころがっていて、ミミイ嬢が演説の身振りをしたら、『葡萄虫の幼虫とアンチピリンの関係について』というこの論文を早口で読みあげるのよ」
「
前へ
次へ
全4ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング