もテントを張ることにした。まだ葡萄祭りまでには十日もあって、その間は男も女も葡萄畑で大きな背負い籠をしょって、夕月の出るまでせっせと働いているから、ここで小屋を掛けても商売になるまい、というバルトリの意見であったが、その村に着いたのはちょうど夕飯時で、馬車宿の炊事場の大きな窓からは、豚のカツレツを揚げる煙りや、キャベツのスウプの匂いが街道中に流れ出して、葡萄だけでこの三日間ごまかされて来た食慾は、ぜひともここで興行をして、多少ともまとまった食物を送って寄越さなければ承知しないぞ、と威嚇したからである。
村の郵便局の前の広場には、これもあまり柄のよくない「膃肭獣《オットセイ》の曲芸」がすでに先着していて、どうやら食慾の命じるままに、ブリキ罐をたたくやら、半鐘を鳴らすやら、必死になって殺伐な呼び込みをしている様子である。
さて、小屋掛けを終り、万国旗と花飾りで幾分の装飾を加え、鼻眼鏡を掛けたペンギン鳥がタンゴ・ダンスを踊っている絵看板を掲げて、これからいよいよ呼び込みを始めようとしたが、なにしろ隣りの呼び込みは猛烈を極めて、今さら、タンボリンや笛などという手ぬるいことでは、とても及びもつかない有様である。タヌは腕組みをしてしばらくの間考えを凝らしていたが、やがて、ハタと膝を打って、
「バルトリ君、この上は仕様がないから、非常手段を用いることにしましょう。君は村中を走り廻って、人殺し! 人殺し! といって触れて歩いてくれたまえ、するとね、あたしは木戸口で、『へえ、人殺しはこちら! 人殺しはこちら!』といって、みなテントの中へ押し込んで、嘘だと気がついてもすぐ出られないように、入口のところへ馬をつないでしまうから、その間に君はミミイ嬢に演説でもステテコ踊りでもなんでもいいから手早くやらして、はい、代は見てのお戻り、って工合にするのよ。いいわね、わかったわね。……さあ、わかったらすぐ駆け出して行ってちょうだい」
「人殺し! 人殺し! というんだね?」
「そうです、ってば!」
「はい、ようがす」といって、バルトリは身体《からだ》を毬《まり》のようにはずませて、ころげ出して行った。
「コン吉君、君はまた重病のところ気の毒だけど、その幕のうしろにころがっていて、ミミイ嬢が演説の身振りをしたら、『葡萄虫の幼虫とアンチピリンの関係について』というこの論文を早口で読みあげるのよ」
「
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