Kをもたげ、マンドリンの空《そら》鳴りにも胆を冷やしながら、虫が這うようにしてまかり通る。
幾たびかの危難ののち、ようやく『烏《コルポオ》』の岩地《がらば》にたどり着き、その頂きに登ったところで、アルプスの山々は薄い朝霧の中で明け始めた。頂きがまず桃色に染まりおいおい朱に、やがて七彩の氷暈《ハロ》が氷の断面一帯に拡がり始める。風が少し出て鋭い朝の歌を奏し、落石と雪崩《なだれ》の音が遠雷のように峯谷々に反響する。
三人は『烏《コルポオ》』の頂きで手の込んだ朝食をすませ、山稜に沿って南へ『|烏の嘴《ベック・ア・コルポオ》』までくだり、タッコンナの氷河を渡って、いよいよそこからグラン・ミューレの大難場、氷の絶壁へととりかかる。コン吉はこの酷薄無情な氷の璧を見あげていたが、やがて悲鳴ともろ共に、
「タヌ君、いくらなんでもこの移転《ひっこし》荷物[#「荷物」に傍点]のままでは、この崖はのぼれない。この中にある雑品はいずれ僕が弁済することにして、とにかくここへ放棄するから悪しからず」というと、タヌはおもしろからぬ面持で、
「仕様がないわね。じゃお鍋類はいいから、マンドリンと日章旗と三鞭酒《シャ
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