烽るから、ひとつアルプスへ行って山案内《ガイド》にでもなろうかア、と思いまして、こちの方へご厄介になりに来たような次第でございまス。早速でスが、わたくスの名案をぶちまけまスと、ま、こういうわけでございまス。……まず羚羊《シャモア》を三匹とっつかめえまス。けれど、それは羚羊といってもただの羚羊と訳が違いまス。なるたけ親子夫婦の情合いの深そうなのを撰ぶんでございまス。生れ立ての羚羊、亭主《おやじ》の羚羊、それから嬶《かかあ》の羚羊とこう三匹つかめえましたならば、まず餓鬼《がき》の羚羊をモン・ブランのてっぺんへ持って行ってくくりつけておく。そこで亭主の羚羊の方は先生さま、嬶の羚羊はお嬢さまが手綱《たづな》をつけて『大平場《グラン・プラトオ》』の下まで引っぱって来るんでございまス。すると、これはしたり! モン・ブランのてっぺんでは手前らの大切な忰《せがれ》が悲しそうに『|父ちゃんや、母あちゃんや《レック・レック・レック》』とないてるもんだから、びっくり仰天して角《つの》の先まで熱くなって、小供可愛いさの一念から崖道、絶壁の頓着なく、捨《しゃ》二|無《む》二に押し登る。『おお、おお、坊や、坊や、お父ちゃんもお母ちゃんも来ましたよ。よしよし、泣くじゃない』と、ここに廻り合いましたる羚羊の親子三人、互いに嬉し涙にむせんでいる時には、ふと気がつくと、先生さまも、お嬢さまも、無事にモン・ブランのてっぺんに登ってござるというわけになりますんでございまス。……はい、どうか三百法ちょうだい」
 七、浮くは沈むの逆なり、千古不滅の真理。藪にらみ「ナニヨ、百姓め、羚羊がどうしたとオ。情合いの深けえ羚羊たア、一|体《て》エどんな面をしてるんでえ。でえいち、てめえのようなトンチキにつかまる羚羊なんかこのへんに一匹でもいたらお目にぶらさがるってんだ。三百法ちょうだい。……ケッおかしくって鼻水が出らア。……ネ、先生、オレの本職ってなア案内人《ガイド》なんてケチなんじゃねえんだよ。オギャアと生れたのはツーロンの軍器廠《アルセナール》の門衛小屋だ。十歳《とお》の時から船渠《ドック》で船腹の海草焼きだ。それから汽鑵《かま》掃除からペンキ塗りと仕上げて、今じゃツーロン潜水夫組の小頭で小鮫のポンちゃんといやア、チッたア人に知られた兄さんなんだヨ。……どうか一度遊びに来チくんねえ。……ね、お嬢さんあっしの名案っ
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