勝手放題な罵声やら嘲笑が氾濫して蜂の巣を突き壊したような大騒ぎになった。
 少し遅れて、大歓呼大拍手のうちに、悠然《ゆうぜん》と『ヘルキュレス』が現われて来た。いかにも大きな牛である。機関車ぐらいたしかにある。全身磨きあげられた象牙のように白く輝きわたり、角は頭一杯に拡がってまるで羚鹿《となかい》の化物のように見える。これが砂地のまん中に立ち止まると、会長席の前で献辞《ブリンデア》を述べる仕止師《マタドール》のように一声高く吼《ほ》え立てたが、その声の素晴らしさというものはもっぱら大工場のサイレンかと思われるばかり。
 遮塀《パレエ》にしがみついていたコン吉はもう気が気ではない。
「さあ、タヌ君、えらいことになった。これではとても角力《すもう》にはなるまい。なにしろ、灯台と破屋《あばらや》ほども違う」といって、何を思ったか、けたたましい東洋語をもって、
「ナポレオン! しっかりやれエ。ここに俺がいるぞオ!」と、わめき立てる。タヌもポピノも共に声をそろえて、
「ナポレオン! ふれえ! ナポレオン! ふれえ!」と掛け声をかけると、その声に驚いたものか、ナポレオンは、『ヘルキュレス』の方へお
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