ことがありますか。ところが、白と黄の奇妙な旗をかかげたその国の船が、ちゃんと波止場のそばに停泊しているのだ。ところが、その波止場には、税関吏、運送屋、宿引き、烏貝《ムウル》売り、憲兵、人足、小豆《あずき》拾い、火夫、人さらい、トーマス・クックの通弁、……そういった輩《やから》が、材木、小麦、椰子《やし》の実、古錨、オーストラリヤの緬羊、瀝青《グウドロン》、鯨油の大樽と、雑多に積みあげられた商品や古物の間を、裾から火のついたように走り廻っている。可動橋の歯車の音、船の汽笛、怒声に罵声、機重機の呻《うめ》き声、蒸気の噴出する音、それに護母寺《ノオトルダム・ド・ラ・ギャルド》の鐘の音《ね》まで入り交じり、溶け合って、轟然《ごうぜん》混然たる港の|朝の音楽《オウバアド》を奏している。
 キャヌビエールの船着場から、烏街《リュウ・ド・コルボオ》の方へ入った一軒の乾物屋の店先に、楕円形《たまごなり》の黒いすべすべしたものが山のように積まれてあった。これはちょうど、いま南洋から到着したばかりのココアの実なんだ。
 するとここへ、牛を連れた三人の男女が通り合わした。一人は粗毛《あらげ》の帽子をかぶり、
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