質実剛健、思想堅固|天晴《あっぱ》れ、天下無双の猛牛《トオロオ》に仕立てて御覧にいれますヨ」と、反《そ》り身になった。タヌは、殊勝らしく一礼して、
「それはもう一|切《さい》おまかせいたしますが、どういう修業の方法をいたしますか、念のためにおうかがいいたしますわ」と、いうとチョビ髯先生は、
「いや、そこに如才はありませぬ。論より証拠、この教課一覧をご覧願います」と、差し出したのは、
[#ここから3字下げ、折り返して10字下げ、罫囲み]
七時 起床。
七時半 修身。
八時 繩飛び。
八時半 ランスロット式柔軟体操。
九時 体術《リュット》。
十時――十一時半 銛《もり》打ち。
十二時 昼飯《ひるめし》。
二時 高飛び。
三時 マラソン競走。
四時 馬術。
五時 読心術。
六時 突撃術。
七時 翻身《へんしん》術。
七時半 会話。
八時 就寝。(ただし、通学生はこの限りにあらずと知るべし)
[#ここで字下げ終わり]
一同はつくづく感じいっていたが、やがてコン吉は恐る恐るの体《てい》で、
「なかなか結構なお仕組みです。しかしですね。ちょっと御質問いたしますが、この修身というのと会話というのは一体どんな事になりますのでしょうか」と、たずねると、先生はこともなげに、
「いかさま、これは人間のために作った教課でありますから、牛様には不適当な部分もあるかと存じますが、しかし、当校の方針といたしましてはですナ、万事平等、友愛、牛であろうと人間であろうと選ぶところはない、一|切《さい》無差別に教育いたします。でただ今質問になりました修身ですナ。しかし、古来犬にも徳育、豚にも愛嬌という諺があります。されば牛に修身の教課が必要ないということはありませんナ。本校の修身と申しますものはもっぱら牛道の基礎となる騎士的精神に磨きをかけるためでございます」
「ごもっともさま、そのご意見には大賛成でございますわ。でもね、この馬術というのはどういう事なんですの。牛が馬に乗る……ちょっと想像ができませんわ」
「これはしたり。馬術でいけなければ、牛術でもよろしゅうございましょう。これは乗るほうでなくて載《の》せるほうですヨ。好きなやつなら乗せる。いやなやつなら振り落す、と、この根本の技術を教えるためでございます」
「そういう心得もおおいに必要かも知れませんな。くどいようですが、最後にもう一つ……。この読心術というのは一体何のことですか」
「さ、そこが本校の自慢の課目ですヨ。たとえばですナ、牛と牛が向き合う、すると向うの牛が、きょうは喰い過ぎているから胃袋だけは突いてもらいたくないと思ったとする。そこでこちらはいち早く敵の心中を読破して、敵が一番|苦手《にがて》とするところを攻撃しようとする、――つまり、その術ですヨ。それに突撃術に翻身術、それから体術《リュット》、……といっても人間の体術《リュット》ではありません。牛と牛の体術《リュット》。……相手は、ええ手前が努めます。というわけで、ひっくるめて一日八時間、これを二週間もやったら、はばかりながら天下無敵。どうぞ御安心のうえお引き取りを願います」
六、武芸百般、武者にもポルカの嗜《この》みあり。ちょうど二週間目の朝、ナポレオンはポピノに連れられて闘牛学校から三人のいるクウルス街の馬宿までもどって来た。
コン吉とタヌの二人が、しきりにとみこう見するが勇気|凛々《りんりん》たるところがない。毛の艶《つや》も悪くなり、しきりに生欠伸《なまあくび》をして、涎《よだれ》を流す有様はなかなか生《なま》や愚かの修業でなかったことがわかる。ポピノは軽くナポレオンの首筋を撫でながら、
「や、ご苦労、ご苦労。さだめし骨の折れたことであろう。骨休めはあとでゆっくりするとして、ここで一つ武芸の型を見せてもらわねえことには安心がならねえ。……ねえ、令嬢《マムズル》これから、中庭へ引き出して手並みのほどを見べえじゃごぜえませんか」
「そうね、じゃ、ナポレオン、しっかり手並を見せてちょうだい」
そこで中庭へひき出して、コン吉とポピノがかわるがわるモウ! モウ! と気合いをかけるとナポレオンは何思ったか後肢《あとあし》でそこへ坐り込み、犬がするような見事なチンチンをして得意満面の体である。タヌは見るより眉を顰《ひそ》めて、
「ま、お前はなんて情《なさ》けないまねをするの。チンチンなんかよして威勢のいいところをやらなくちゃ駄目じゃないの」と、声を励まして叱りつけると、ナポレオンはしばらくは情けなさそうな顔をしていたが、こんどは、おりから鳴り出した蓄音機のポルカに調《あわ》せて、ステテン、ステテンと踊り出した。
三人もろともに呆気《あっけ》
前へ
次へ
全8ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング