火山。(アルル代表)
六、屠牛《とぎゅう》所長。(アヴィニョン代表)
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 と、その名を聞いただけでも、気の弱い牛ならば貧血を起こそうという慓悍《ひょうかん》無比の猛牛ぞろい、なかにも、マルセーユ代表のヘルキュレスというのは、当年満三歳の血気盛り、相手の前肢《まえあし》に角をからみ、とたんにやっ! と、捻じ倒す『|足挾み《シイゾオ》』に至っては、誠にもって至妙の術。これに出あってはいかなる猛牛《トオロオ》といえども手も足も出ない。されば、ヘルキュレスはマルセーユにほど遠からぬフォレの荘園に眷属、門弟およそ三百匹をひかえ、当時飛ぶ鳥も落そうという威勢である。
 ここに、六月のとある日、コン吉とタヌが旧港《ヴィユ・ポオル》に近い旗亭《レストオラン》の露台で名代の香煎魚羮《ブイヤベイス》を喰べ、さて次なる牛肉網焼《シャトオブリアン》を待っていると、手近な窓から、見るも無惨に痩《や》せ果てた牛が首を差し入れ、水洟《みずばな》をすすりながら、
「モウ!」と鳴いた。タヌはそれを見るより、
「あら、いやよ! 給仕《ギャルソン》。これではあまり生焼《セニャン》過ぎるわ。もう少しよく火を通して来てちょうだい」といったのはまた無理もない次第であった。
 給仕も飛んで来て、しきりに、しっ! しっ! と追い立てるが一向に動かない。そこでコン吉がつくづくと眺めると、どうやら辱知《しりあい》の牛である。
「タヌ君、どうもこれはどこかで見た牛だと思うが、心当りはないかね。それとも照り焼きになるのが嫌いで命乞いに来たのだろうか」と、神秘的なことをいう。そういわれてタヌもしきりにためつしかめつ[#「ためつしかめつ」に傍点]していたが、やがて急に膝を打って、
「これはコルシカのポピノの家にいたナポレオンよ。ほら、額んとこの王冠の形をした斑《まだら》をごらんなさい」
「なるほど、これはコルシカのナポレオン!」
「ま、ナポレオン、ナポレオン! お前どうしてこんなところへ来たの」といいながら、首をかかえて頬ずりすると、ナポレオンはたちまち四つ足を浮き立たせて恐悦し、涎《よだれ》やら目脂《めやに》やら止めどもなく流し、タヌの手やら顔やらでれりでれりとなめあげた。
 すると、波止場の方から息せき切ってかけて来たのはコルシカ人、ジュセッペ・ポピノ。牛と二人を見るより感きわまったもののごとく
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