上からもアーチの上からも拍手と口笛が湧き起こり、おのおの贔負《ひいき》とする[#「贔負《ひいき》とする」はママ]仕止師《マタドール》の名を呼びかけるその声々、円戯場《アレエヌ》の壁もために崩れ落つるかと思わるるばかり。
 総隊は、さて列を解き散々《ちりぢり》となって所定の位置に着くと、第一の牛が放される。牛は暗闇から急に眩《めくら》むような明るい砂地に引き出されてはなはだ当惑の体《てい》。そのままのそのそと、もと来た方へ引き返そうとすると、赤いマントを持った組下《くみした》の奴《やっこ》が前や後ろへ廻って砂地のまん中へ、まん中へと誘い寄せる。五月蠅《うるさ》いとばかりに、首を沈めてモウ! と吼《ほ》えると、かねて逃げ腰の組下はあわてて遮塀《パレエ》の後ろへさか落しに飛び込んだ。そこで槍騎士《ピカドール》が飛び出したが、これもきわどいところで塀のうしろへ退却する。お次は|銛打ち《バンデリエロ》。これがどうやら持っただけの銛《もり》を打ち終えると、いよいよ最後の仕止め段。仕止師《マタドール》は右手に細身《ほそみ》の剣《つるぎ》、左手に赤布《ムレエータ》を拡げ、牛の前に突っ立ち、やっ! とばかしに襟筋に剣を突っ立てたがなかなか「突っ通し」というわけにはゆかない。牛がいやいやをすると剣ははるか向うへけし[#「けし」に傍点]飛んでしまった。すったもんだのすえ、大汗で最切の牛は片づけた。第二の牛、第三の牛と虐殺し、さて、いよいよ牛角力《コンバ》の番になった。観客席は今までの凄惨《せいさん》陰鬱な気分から開放されてにわかに陽気になる。闘牛《コリダ》と比べて、これは確かに呑気《のんき》しごくな、きわめて力の入れがいのある――つまり、牛を代表に立てた対市競技だからである。
 第一の取組みは片やカマルグ片やタラスコン。
[#天から3字下げ]山猫――爆撃機だ。
 まず最切に『山猫』が恐ろしい勢いで穹門《アルク》から駆け出して来た。そのあとから『爆撃機』が追い掛ける。日ごろ、よほど仲の悪い同士であったとみえて、いきなり穹門《アルク》の前で四つに組もうとしたが、残った! 残った! そこでは、あまり見物席からほど遠い。それで介添役《かいぞえやく》が赤布《ムレエータ》を振って砂場の中央まで引き寄せる。二匹の牛はそこで首を下げものすごく吼《ほ》えながら、互いの足もとを嗅ぐような様子をしていたが、や
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