九、亡者潔癖にして己が墓の草むしり。清潔な下着に着換え、讃美歌を唄いながら、今か今かと待っていたが、その夜は庭を歩き廻る足音ばかりで格別のこともなかった。ああ、思いがけなく一日だけ助かったのか、それではせめて息のあるうちに、自分等が手にかけたコルシカ人の墓参りでもしようと、道ばたの野の花を集めて花束を作り、墓地にゆくと、そのはずれにま新しい一本の木の十字架。多分これがポピノの墓であろうと、その方へ近づいてゆきながら、その十字架の前にしゃがんでいる男の顔を見ると、ナントそれは、死んだはずの馬面のコルシカ人、しきりに自分の墓の草むしりをしている様子。これは! と驚いた二人が、同音に、
「あんたは!」
「君はあの馬面の……」と、声をかけると、馬面はてれくさそうに掌をもみながら、語り出した。
「あの(極楽荘)はヴイコの町長の夏別荘だったんですが、この五年前からぶっつり来ないようになったので、まあ、ずるずるべったりに、部落の共同の倶楽部《くらぶ》ということになっていたんです。日曜日にはあそこへ集まって、茶煙草《ちゃたばこ》を飲みながらしゃべり合うのが、この部落のなによりの楽しみ。そこへあんた達が乗り込んで来たんだ、年寄りなんか、がっかり力を落して滅入っているんです。一体、あそこに飾ってあった賞牌《メダイユ》ってのは、コルテ市の射撃会で、部落の若いものがとった一等賞の記念。その当人にとっては、命から二番目という品。姫鱒は大将《カボラル》がグラヴオネの河で釣りあげた自慢のもの、それを、あんた、賞牌《メダイユ》はどっかへすててしまう。鱒は酢をかけて喰ってしまう。おまけにあの鳩は、村で急な病人ができたときに、コルテの町まで飛ばしてやる大切な伝書鳩だったんです。これは丸焼きにして喰ってしまうワ、年寄りの腎臓の薬にしていた黒山羊の乳は絞りあげてしまうワ、あんた達の乱暴はなみたいていじゃないんだから、日ごろ我慢強い大将《カボラル》もカンカンに怒《いか》って、あんた達のところへどなり込んでいったんだが、コニャックを出されたり、お礼をいわれたりするんで、かえってほうほうの体で引きさがって来たんです。そこで、威《おど》かしでもしたら立ちのくだろうってんで瘠《や》せた小僧に幽霊を一役やらせたところが、いきなり下から火をつけられてめんくらって逃げ出して来たんだが、こいつは膨《ふくら》っ脛《ぱぎ
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