から、今晩は多分腰から上だけで出てくるつもりなんだろう。いやもう思っただけでもぞっとする」
「油紙でもあるまいし、どこの世界に燃えあがる幽霊なんかあるもんですか。貉《てん》かなんかの悪戯《いたずら》に違いないのよ。今晩また出て来たら鉄砲を撃《う》っておどかしてやりましょう。もし手答えがなかったら、それは幽霊に違いないのだから、引きあげるならそれからでも遅くないよ」
さて、物置きに投げ込んであった喇叭《ラッパ》銃に煙硝と鹿|撃《う》ちのばら玉をあふれるばかり詰め込み、藁《わら》をたたいて詰めをし、窓の隙間から筒口を出して昨夜《ゆうべ》幽霊が退場した雑木林の入口に見当をつけ、半焼の幽霊いまに目にものを見せてくれようと待っているうちに、おいおいと夜もふけ渡り、幽霊出現の定刻となると、青白い月の光の中に浮び出たものは幽霊にはあらでたくましい一匹の虎。
「うわゥ、うわゥ」と奇妙な声で咆吼《ほうこう》しながら、首を振り腰をひねって、しきりに前庭を遊曳《ゆうえい》する様子。コン吉はたまりかね、この一発なにとぞ虎に命中せしめたまえ! と、八百万《やおよろず》の神々に念じながら、ズドンとばかりに打ち放すと、筒口からは末広形の猛烈な火炎が噴出し、その反動でコン吉は、うしろへでんぐり返り、床に頭を打ちつけてややしばらくはぼうぜんとしていたが、やがて正気にかえり、虎はいかにと煙硝の煙をすかして眺めると、天の助けか、虎は四つ足を天に向けてころがっている。
「や、うまくしとめた! 有難い!」と、二人は急いで扉《ドア》のそとへ駆け出そうとすると、虎の中から現われたのは一人のコルシカ人、脇腹を手でおさえながら雑木林の入口まで這って行ったが、そこで崩れるように草の中へのめり込んでしまった。
七、コルシカ人を殺せば三界に住家《すみか》なし。これは! と驚きあきれて、コン吉とタヌは扉《ドア》のそばに立すくんでいると、時ならぬ鉄砲の音を聴きつけたタラノの部落民は、てんでに藁松明《ブランドン》とライフル銃をひっさげ、雑木林《マッキオ》の奥から走り出てきたが、そこに倒れているコルシカ人を発見すると、口々になにやら叫びかわしながら、件《くだん》のコルシカ人をかつぎあげ、林の奥に走り込んで行った。
タヌは瞬きもせずにこの意外な光景を眺めていたが、やがてコン吉を部屋の中へ引きいれ急いで扉《ドア》を閉ざし、息
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