ない[#「まともでない」に傍点]公爵の勝つわけがあるものか。僕なら、早く帰って、またマカロニでも喰べてひっくり返ってる方がましだ」というと、タヌは、
「でもね、コン吉、どうせ賭球盤《ルウレット》だって狂人《きちがい》でしょう。公爵も、ま、それに近いわけね。だからこの二つを組合わせると、ことによったらことによるかも知れない、と思うのよ。どうせここに持ってるのは千法とちょっとよ。さっき皆負けてしまったことにすれば、これで公爵の珍技を拝見するのも悪くないわね。万一、ひょっとしてあの公爵が勝ったら、賭球盤《ルウレット》よ、大きなことをいうな! だわ」
公爵は二人が賭博室《サル・ド・ジュウ》へ入って来るのを待ちかねて、
「あなたがたの負けたのはどの卓《タアブル》ですか」とたずねた。コン吉が食堂に近い No. 6 の卓《タアブル》を指し示すと、公爵は、|玉廻し役《クルウピエ》の隣りの椅子にムズとばかりに坐りながら、
「ひとつ総仕舞《そうじまい》にして、花を飾らしてやらなければならん」
公爵は天井を仰ぎ、人々の顔を眺め、悠然《ゆうぜん》と、あちらこちら見廻していたが、やがて、窓越しに見える巴里珈琲店《キャフェ・ド・パリ》の屋根にとまっている鳩を一羽、二羽……と数え始めた。
「お! みなで十七羽いる! さ、十七へ百五十法。十七の隣数《ヴォアザン》、16[#「16」は縦中横]17[#「17」は縦中横]、17[#「17」は縦中横]18[#「18」は縦中横]、14[#「14」は縦中横]17[#「17」は縦中横]、17[#「17」は縦中横]20[#「20」は縦中横]……というふうに、これへ二百法ずつ。残りは全部|黒《ノワアル》と奇数へ!」
コン吉とタヌが青羅紗《タピ》の上を這い廻るようにして、賭牌《ジュットン》を配置する間もなく、出た数はまぎれもなく17[#「17」は縦中横]であった。金方《バンキエ》が熊手の先で押して寄越した二万八千法の賭牌《ジュットン》の小山を忙しく例の大袋へ投げ込んだ。
公爵は、またもやしきりに眼玉の視角を変えながら、直感と虚心をさがしていたが、突然、窓のそとを指差して叫んだ。
「あ、あそこへ子供が大きな輪を廻しながらやって来る! さ、御両氏、急いで0《ゼロ》へお賭《は》りなさい! できるだけ沢山に!」
ちょうど二十五万法勝ったところで卓《タアブル》 No. 6 は陥落した。卓《タアブル》の主任《シェフ》は旋回盤《ルウレット》におおいを掛け、その上に薔薇を飾って『お祝い』した。
九、春先の地中海の名物は『西北風《ミストラル》』。モンテ・カルロ第一という巴里旅館《オテル・ド・パリ》の豪奢な居間にこもりっ切りになって、四五日前から、沈鬱な顔をして額を押えながら、「西北風《ミストラル》が来る! 西北風《ミストラル》が来る!」と、公爵がいっていた通り、果してその日の正午《ひる》ごろから、ものすごい勢いで西北風《ミストラル》が吹き出した。
公爵は朝から社交廊《ロビイ》と居間の間をそわそわ歩き廻っていたが、
「ちょいと拝借」と、いって、千|法《フラン》札で二十五万法を入れたタヌの|手提げ《サッカ・マン》を持ったまま、ひょろりと戸外《そと》へ飛び出していってしまった。コン吉とタヌは、公爵がまた西北風《ミストラル》に乗って大勝して来るのだろうと、大いに期待していると、二時間程ののち、オテルの室付給仕《パレエ》が、息せき切って二人の部屋に駆け込んで来た。
「大変だあ! 早く行っておつかまえなさいまし! 公爵が千法札を、まるで売り出しの引札《ちらし》のように他人《ひと》に配って歩いてますぜ! 遊楽館《カジノ》の『鳩打ち場』の横んとこでサ!」
底本:「久生十蘭全集 6[#「6」はローマ数字、1−13−26]」三一書房
1970(昭和45)年4月30日第1版第1刷発行
1974(昭和49)年6月30日第1版第2刷発行
初出:「新青年」
1934(昭和9)年4月号
入力:tatsuki
校正:伊藤時也
2009年10月26日作成
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