ょうさん》。撫子染《なでしこぞ》めの長き振袖に、花山車《はなだし》を織り出したる金繍《きんらん》の帯を締め、銀扇を高くかざしていたったるは、花束もてこの扇を射よとの心であろう。倨然《ぎぜん》たる戦車《タンク》の後尾に樹てられし旗竿には、ああ、南仏の春風に翩翻《へんぽん》と翻る日章旗。
四、五人目の祝賀客は波蘭土《ポーランド》製のアイス・クリーム。紹介もなく突然お邪魔にあがりました失礼は、どうぞ謝肉祭《キャルナヴァル》に免じておゆるし下さいませ。それと申しますのは、私は突然、今晩遠いところへ旅立ちしなくてはならぬことになったからでございますの。ずっと、ずっと、ずウっと遠いところなんでございます。それはさて、私は一昨日《おととい》、お両人《ふたり》様と[#「お両人《ふたり》様と」は底本では「お両《ふたり》人様と」]花馬事の一等賞を争いました「生きた花馬車」でございます。いいえ、つまり、そのマダム・ルウジュなんでございますの。本当に惜しいところで敗北いたしましたが、でも、もちろんでございますわ、審判官《ジュリイ》の眼に狂いはございません。お両人《ふたり》の「|花園を護るもの《ギャルディアン・ド・ジャルダン》」に比べましたら、私の花馬車などは、蘭の前の菠薐草《ほうれんそう》のようなものでございます。でも、ただ一つご記憶を願いたいのは、お両人《ふたり》の花馬車がございませんでしたら、私の「生きた花馬車」は、きっと一等になっていた、ということでございます。ああ、五千|法《フラン》の賞金! まるで夢のようでございますわ。わずか一点の差で勝ったものと敗れたもの、……つまり、五千|法《フラン》対零|法《フラン》の二人の競走者《リヴァル》が、こうして卓を隔てて会話をいたすと申しますのも、何かの因縁《いんねん》でございましょうから、なにもかも打ち明けてお話しいたしましょう。何を隠しましょう。私は今晩凍死をして自殺する決心なのでございます。私は先刻《さきほど》、大桶に一杯のアイス・クリームを部屋に取り寄せておきました。それを皆喰べてしまいましたら、そっと料理場へ降りて行って冷蔵庫へ入り外から錠をおろしてしまいます。すると、有難いことには、私は明日《あす》の朝までには、多分アイス・クリームで作った人魚のようにコチコチに固まっているのに違いありません。そして、ホテルの料理番は私の頬《ほ》っぺたを一|匙《さじ》喰べて見て、「おや、これは上出来だ」などと申すことでございましょう。いいえ、どうかお止《と》めにならないで下さいまし。私はどうしてもこの世に生き長らえていることのできぬ身体《からだ》なのでございます。まあ! 本当にお優しいお嬢さま。……では、ご親切に甘えまして何もかもお話し申しあげてしまいます。何を隠しましょう。私はこの一月に二十万ズロオチイ、つまり二十万|法《フラン》を持ってモンテ・キャアロに参りました。実はこれを百倍にして波蘭土《ぽーらんど》の戦債を払うつもりだったのでございます。さて、球賭盤《ルウレット》の象牙玉に連れて廻る、人の運などというものは、本当に不思議なものでございますわ。一時は十五万|法《フラン》以上も勝ち越して、「|凄腕の波蘭土女《ポロネエズ・テリイブル》」とまで綽名《あだな》された私も、落目になると恐ろしいもので、赤へ賭ければ黒と出る、3へ張れば4と出るというわけで、勝ちあげた十五万法は朝日の前の霜と消える。そうなると焦《あせ》るからたまりません。覚えのない三十《トランテ》・四十《キャラント》をやる、銀行賭博《バカラ》をやる、手持ちの二十万法は、たった三日のうちに、みな指の間からずり落ちて、残ったのがわずか三百法。そこで思い付いたのがこの花馬車競技でございます。一等賞を取れば五千法。……これに限ると、四輪馬車に馭者《ぎょしゃ》をつけて一日二百五十法で借り、「生きた花馬車」を作りました。もともと花を買う金などはないので、花は、――薔薇の模様の着物を着た、つまり私自身なんでございました。さて、その後の次第はもうお話申しあげるまでもないことでございます。ただ今手元にありますのは、五十文《サンカンサンチーム》の真鍮玉一つ。……ここにおりますのは、夜会服《ソワレ》を着た乞食でございます。でも、私は満足でございますわ。世にも名高いニースの花合戦に加わり、一等を争って敗れたのでございますもの。天晴《あっぱ》れ華々しい最後と申してよろしゅうございましょう。では、アイス・クリームの溶けぬうちに、そろそろお暇《いとま》いたします。はなはだ勝手でございますが、これで失礼させていただきとう存じます。はい、何でございますか? ワルソオへ帰りますには、三千法もあれば充分なのでございます。ああ、懐かしいヴィスチュウルの河よ! ちっちゃな電車よ! 私の金糸鳥《カナリヤ》よ! さようなら。二十八歳まで生きて来て、そう、アイス・クリームになってこの世を去りますのも、みな神様の思召《おぼしめし》でございます。ではご機嫌よう。冷蔵庫の中からお幸福《しあわせ》をお祈りいたします。あの、なんとおっしゃいます? いいえ、とんでもない。どうして私が、見ず知らずのお両人《ふたり》さまから、三千法などという大金をちょうだいできましょう。そんなことを致しますくらいなら、この窓から飛び下りて死んだ方がましでございます。どうぞご心配無用に、……有難うございます、けれども、……なんというご親切……まるで夢のようで、夢ならばどうぞ醒《さ》めませんように、……はい、はい、ではお言葉に甘えまして有難くちょうだいいたします。……このご返礼と申すわけではございませんが、お両人《ふたり》さまに幸福の鍵を一つお譲りいたしとうございます。「明日午後二時」、オテル・リッツの一〇一号室をお訪ね下さいまし。そこで非常な幸運に廻り合うことがおできになりましょう。……一〇一号室でございますよ。どうぞ、お間違いなく。
五、「招けば来る森羅万象」の秘法。アフリカの叢林《ジャングル》もかくやと思うばかりに、棕櫚《しゅろ》の大鉢を並べ立てた薄暗い部屋の隅から、「これは、これは、ようこそ御入来」といいながら立ちあがって来た、眼の鋭い、三十五六歳の白皙美髯《はくせきびぜん》の紳士。床に額を打ちつけるほどうやうやしく一|揖《しゅう》した後、「花馬車一等賞万歳! まずもって祝着《しゅうちゃく》の至りに存じます。……さて、手前がつまりご紹介にあずかりました一〇一号室でございます。お国の安南《アンナン》には、併合前六ヵ月ほど滞留いたしまして、キャオ・ワン・チュウ殿下のご知遇をかたじけなくいたしました。時に、両殿下には、今日はいかような御用向きで御高来くださいましたか」と、たずねた。タヌは、急に安南《アンナン》の女王のような重々しい声で、「君は『幸福の鍵』ってのを持っているそうですが、本当ですか」と、ご下問になった。すると、一〇一号氏は、うわッと一礼してから、
「いかにも仰せの通りでございます。しかし、それは鍵と申しましても、鋳物で作った鍵ではございませン。つまり、幸福を握る秘訣といったようなものでございますヨ。一口に申しますとですナ。無限に金を儲ける術でございます。……一九二五年のことでございますヨ。手前は交趾支那《こうちしな》の安交《アンコオル》から暹羅《シャム》の迷蘭《メエランク》地方へ猛獣狩りに参りました。するてえと、ある夏の暑い日でしたナ。ちょっとした水溜りのわきへ『虎落し』を仕掛け、米の樹のそばで銃を構え、虎が水を飲みに来るのを待ってると、近くで怪しいうなり声がするんですナ。近寄って見ると、まるで玉蜀黍《とうもろこし》の茎《くき》のようにやせた百五六十歳の老人が、日射病にやられて苦しんでいるのですヨ。そこであり合せの兎の足で喉を撫でたり、蓮《はす》の葉っぱで頭を包んでやったり、いろいろ介抱しましたら、それでどうにか一命は取り留めたんですナ。非常に感謝しましてネ。教えてくれたのがこの術なんです。つまり、五|呎《フィート》以内にある物体なら、なんでも手元へ呼び寄せることができるんですナ」
といいながら、チョッキの衣嚢《かくし》から、朱色の模擬貨幣《ジュットン》を取り出して、大きな白鳥を薄浮彫《すかしぼり》した机の上に置いた。
「これはモンテ・カルロの球賭盤《ルウレット》に使う百|法《フラン》の模擬貨幣《ジュットン》ですがネ、手前が呪文を唱えると、ヤッと掌の中へ飛び帰って来るんですナ。……つまり、これが無限に金を儲ける方法」といって、眼を細めながら、「時に両殿下には球賭盤《ルウレット》をなすったことがおありですかネ」とたずねた。
「いいえ、まだよ。もっとも護謨球賭戯《ラ・ブウル》なら、やったことがあるけど……」と、タヌが答えると、
「いや、おやめになった方がいいですナ。一体|球賭盤《ルウレット》の必勝法《システム》には、たとえばシャルル・アンリの倍賭法《パロリ》、アランベエルの早見法《バレエム》、ウエルスの|勝ち乗り法《モンタント》なぞと、およそ小《こ》一万もありますが、計算《カルキュウル》や罫線《フィギュウル》で勝てるわけがないんですヨ。一体話がおかし過ぎますテ。ところが、この手前の方法は負けるということがない。そして無限に勝つ。……いいですか。たとえば、こいつをどこでもかまわない3なら3へ張る。すると不幸にして、まあ27[#「27」は縦中横]が出る。その瞬間ですヨ。一座の注意が、球賭盤《ルウレット》の文字板に集まっている瞬間に呪文を唱えてヒョイとそいつを手の中へ呼び返してしまう。もし、都合よく張った3が出たら、そのままにしておいて三十五倍の支払いを受ける。……百|法《フラン》の三十五倍で、つまり一挙にして三千五百法ですナ、どうです、負ければ引っ込ます。勝てば支払わせる。……百戦百勝、絶対に負けなし、というのがこの術です。アランベエル君出直して来い! でサ」
コン吉は、もはや大乗り気。昂奮で狐面を赤らめながら、
「なるほど、これは絶対ですな。大勝利、大勝利」と、しきりにうなずくと、タヌも、
「まあたいした術ね。一目瞭然だわ」と、心からなる感嘆の声をあげる。
一〇一号は、我が意を得たりというふうに、薄い唇をほころばせながら、
「お望みならご伝授申しますヨ。なにしろ私は安南《おくに》の王様にいろいろお世話になった。また、この方法も東洋で伝授されたものです。つまり、東洋に対する報恩の一端として、いさぎよく御伝授しましょう。無料ということが、両殿下の御気性として、御意にかないませんなら、金銭のお礼も申し受けましょう。ただし、額はきめません。両殿下の誠意、――換言すればですナ、そこに御所持の金額を全部、最後の五文《アンスウ》までここへ御提供くださいナ。その誠意さえお示し下さるなら、喜んで御伝授いたしますヨ。東洋のものを東洋へ返すのです。決してケチなことは申しませんヨ」
タヌは息をはずませ、感謝の志を満面に表わしながら、
「ま、本当にご親切ですわ。……ええ、財布の底を払って誠意を示しますよ。では、早速ですけど、ここに三千|法《フラン》と、ほかに二十六法あってよ。さ、これで全部」と、机の上へ押しつけるように紙幣を並べる。
「コン吉、さ、あんたも皆出したまえ」
コン吉は、
「おいきた」と、勇み立って、あちらこちらの衣嚢《かくし》から、五十法|紙幣《さつ》一枚、十法二枚、二法真鍮貨二つ、と、探し出しそれから日本の郵便切手を三枚景物に添えて机の上へ並べた。
一〇一号は懐疑的な眼付で、じろじろ二人の様子を見ていたが、どうやら両人《ふたり》が、最後の五文《アンスウ》まで出し切った様子を見定めると、紙幣を財布へ納めてから、
「よろしい。では、始めます」と、いって模擬貨幣《ジュットン》を浮彫りの白鳥の眼玉の上に載せた。
「よろしいですか。この呪文は暹羅《シャム》語で、(アルス・ロンガ・ヴイタ・ヴレヴイス)というのですが、モナコの模擬貨幣《ジュットン》が暹《シャム》語を知ってるはずはありません。そこでこれを翻訳して、|〔G
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