パドリエイ》をはいた異装の人物。いきなりむずとばかりに、窓ぎわの座席に坐ったと思うと、ポケットから「ラ・トリブーナ」という伊太利語の新聞を取り出し、顔の前にさかさに拡げて読み出したが、やがて「くだらん!」と叫んで新聞をもみくちゃにし、その玉を忌々《いまいま》しそうに足で蹴っ飛ばした。
大きな眼鏡からはみ出した顔の部分は、雨あがりのセエヌ河の水のようなやや黄濁した色をし、削瘠《さくせき》した顎《あご》の先には、よく刈り込んだアルフォンス十三世式の白い三角髯がくっついていた。
コン吉とタヌがあっけにとられて眺めているうちに、やや遠くで錚々《ちりちり》と鳴る発車の電鈴《ソンネット》、車掌の呼び子、機関車がどしんと重く客車の緩衝機に突きあたったかと思うと、列車は滑《なめら》かに昇降場《ケエ》をすべり出し、貨物倉庫や車輛のそばをすり抜け、分岐線をがたがたと飛び越えてから、汽笛一声、マルセーユの市街の胴なかに明けられた長い隧道《トンネル》のなかへ走り込んだ。
アルフォンス十三世は、蒼白い長い指で顎《あご》を押えながら、眼鏡の奥からじろじろ二人の様子を見ていたがややしばらくののち、気息《いき》で曇った汽車の窓ガラスへ、指で次のような、象形文字を丹念に書きつけた。
[#弁髪の男の絵(fig47499_01.png)入る]
鹿皮の爪磨きで爪を磨きながら、ゆうゆうと十三世の動作を観察していたタヌは、そこで、いきなり立ちあがって窓のそばまでゆき、せっかくの自由画を掌《て》で拭い取ってから、その右上へ、
[#日の丸の絵(fig47499_02.png)入る]
と、書きつけて、軽蔑したように肩をぴくんとさせた。十三世はしばらく考えていたが、また立って行って、今度は、
[#三の目のサイコロと豚の絵(fig47499_03.png)入る]
と、書いて、何か問いたげに、タヌの顔をみつめた。タヌは、
「おや! やったね」と東洋語をもって叫んでから
[#馬と鹿の絵(fig47499_04.png)入る]
と書いたが、これでは、通じないと思い返したものか、また別に、
[#渦巻きの絵(fig47499_05.png)入る]
を書いて、十三世の頭蓋骨のあたりを指さしてみせた。十三世はまだ何か書きつけたいらしく、しきりに指先をなめずりながら窓を睨んでいたが、残念ながら、ガラスの黒板は、国旗や豚
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