たりしてくれるように頼んでまいったんでございまス。お願いと申しまするのは他でもございません、如何《いかが》でございましょう、往《ゆ》きが四時間、復《か》えりが十時間、向うにいる日を一日と見て、たった二日だけ子供たちをお預りくださるわけにはまいりますまいか。喰べ物の好みはいわず、贅沢もいわず、朝は早起き、戸外《そと》へ出るのは何より嫌い、二番目の女の子などは、背中の真ん中にあるホックまで独りで掛けるんでございまス。身体《からだ》の丈夫なことは、まるでブリキで作った騎手《ジョッケイ》のようで、落しても転がしても、決してこわれるようなことはないんでございまス。物覚えのいいのは母親似でございまして、一月生れの末の子などは、もう「仏蘭西万歳」といえるんでございまス。如何《いかが》なものでございましょうか? これはまあ夫人《おく》さまさっそくご承知くださいまして有難う存じまス。もう、マリアさまのようなあなたさまに、たとえ一日でも二日でも、お預りを願うというのも、ひとえに日ごろの信心のお蔭だと有難涙《ありがたなみだ》にくれる次第でございまス。では、お休みなさいませ。
四、五位|鷺《さぎ》のプロムナアドは泥鰌《どじょう》の悩み。懇篤《こんとく》重厚なるジェルメエヌ後家の述懐、涙ぐましき苦業の数々。一つとしてこれを聴く人の断腸の種とならぬものはないのだが、とかく漠然たるコン吉の大脳には、ただもううるさいと響くばかり。涯《は》てなき長広舌の末、この島全体の空気に、何やら相応《ふさわ》しからぬ艶《なま》めかしい匂いを残して、若後家が階下《した》の居間に引きさがったのち、はて、今の話の筋道は一体どんなことであったのか、と首をひねってタヌの様子をうかがうところ、どうやらこれは並々ならぬ災難の前兆、悪運の先駆けと思わざるを得ないというのは、粗《あら》い毛織りの服を着たタヌの胸が優しげな溜息をもらし、洞窟の奥の黒曜石のような眼玉が、あらぬ虚空《こくう》をみつめ、何やら深い物想いに耽っている様子。この溜息こそは、例の端倪すべからざるタヌの空想、即ち災難の前触れ。これは油断のならぬ事になった。急いでそれ相応の防禦の道を講じなくてはなるまいと、コン吉が、まずそれとなく鹿爪《しかつめ》らしい咳ばらいをし、さて、おもむろに舌を動かそうとしたとたん。
コン吉よ、君は子供と鱈《たら》の子を何より嫌いだといい張るが、それは多分、天気晴朗の日に空から降って来たような、天真爛漫な田舎の子供を知らないからなのであろう。まして、ここは海岸の事だから、帆立貝《ほたてがい》のなかから生れたような子供だの、鯨の背中に乗って流れ着いて来たような、うっとりするほどロマンチックな子供も居るに違いないのだ。あたしは、もう今晩は楽しすぎて眠ることができないであろう。コン吉よ、君はどうぞ、寝台の帳《リドオ》を閉めて、あたしに君の顔を見せないようにしてほしいのだ。あたしの楽しい空想や計画は、君の顔を見ると、不思議に破れてしまうからだ。とりわけて、今晩だけは鼾《いびき》をかかない様にしてもらえないであろうか。また時々、夜中に君を揺り起こして、あたしの計画を聞いてもらうつもりだが、その時はどうぞ、夢のような声で、優しくあたしに賛成してもらいたい。
そういうわけであったのかと、コン吉は今さらながら驚くばかり。あれやこれやと周章狼狽して、頓《とみ》に言葉も出ない有様。磨き粉の買い出しから、子供の pipi の始末まで、はるばる巴里《パリー》から手懸《てが》けに来るとは、なんたる因果、身の不仕合せ。はるか東のはずれの国にいる悪友共へ、この島の牡蠣《かき》酢が乙《おつ》でござるの、海老の刺身で一杯飲めるのと、いわでもよい法螺《ほら》を絵葉書の裏にぬたくって、郵便船《バケボ・ポスト》に托したのはつい昨日《きのう》のこと。見ると聞くとは大違いとは、さてはこのへんのことをいったものであろうと、首をかかえて嘆くばかり。
五、潮騒《しおさい》はサラサラ発動機船はポンポン。鴎《かもめ》は雑巾のような漁舟の帆にまつわり、塩虫は岩壁の襞《ひだ》で背中を温める、――いとも長閑《のどか》なる朝景色。さて、タヌの声に応じて、廊下の襞に背中を擦りつけ、目刺しならびに並んだ八人の子供というものは、どれもこれも、ゆくゆくはアフリカ行きの流刑船《エグジレ》の水夫になるとか、闘技場《アレエヌ》の暗闇に出没して追剥《おいはぎ》を働くとか、女ならば碁磐縞《ごばんじま》の服を着て、けちなルウレットを廻す縁日の|廻し屋《クルウピエール》、あるいは部落《ゾオン》にたぐまる吸殻《メゴ》屋の情婦にでもなりかねぬ末たのもしい面相|骨柄《こつがら》。いずれも唇をへの字に結び、うわ目でじろじろタヌを見あげながら、むっつり押し黙っているばかり。タヌがロマン
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