べき勝算があっての事と見受けられた。
 さて、式場の一段高いところには、型のごとくコップと水瓶、その下に白木の長テーブルを連ねたのは、この上に出品を並べて審査する手筈。下手《しもて》には鰯粕《いわしかす》の目方を衡《はか》る大秤、壁に切り目を入れた即製の身長測定器、胸囲、身長、体重の平均を年齢別に表した大図表、何やら光るニッケル製の医療器械まで出しそろえ、ものものしくもいかめしい有様であった。
 定刻ともなれば、古きフロック・コートに赤白青の村長綬章を襷掛《たすきが》けにした村長が、開会の辞をかねて一席弁じたが、その演説の要旨こそは、さすがのクレマンソーも靴下一枚で一目散の代物《しろもの》、書かでも御想像を願いたい。
 要するにこの結末は長々と書き綴《つづ》るにはおよばないのであろう。読者諸君のお察しの通り、どういう不幸な暗合か、出品した五十人の子供は、わが家の八人の小国民を除く以外、みなそれぞれ適当な下痢を起こし、はなはだ香《かん》ばしからぬ状態にあったので、フランス本土からわざわざ審査に来た小児医は、ただただ鼻をおおって閉口するばかり。当日の賞金は、一等から八等まで、直接の保護者たるコン吉とタヌの手に渡ることになった。
 この賞金合計八百五十|法《フラン》のうち、四百法だけを今日までの子供らの養育費として受け取り、残りの四百五十法は、今日以来八人の子供を扶養することになった仏蘭西共和国政府へ、改めてコン吉とタヌから、扶養費の一部として献納することになった。

 フランスの本土とこの「|美しき島《ベリイルアンメール》」をつなぐ定期船は、八月の青いブルタアニュの波を舳《へさき》で蹴りながら、いま岩壁を離れたところだ。村長、村民、麺麭《パン》屋の若い衆と肉屋の娘、それに八人の子供達が、岩壁の上に立ち並び、みな名残惜しげに手を振り声をあげて別れを惜しむのであったが、この八人の木像どもはいぜんとして唇をへの字に結び、眉根に皺《しわ》を寄せてむっつりと押し黙っているのだ。船からタヌが、
「do−do ちゃんご機嫌よう! re−re ちゃん、時々手紙をくれるのよ! fa−fa ちゃん、あまり高い所へ登るんじゃありませんよ」
 と、せわしくそれぞれ八人の子供に声を分ち、うるんだ眼でうなずいて見せ、帽子を振り、ハンカチで洟《はな》をかんだ。
 船は海老の生巣《いけす》を浮かせた堤
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