その合間には、子供らににッと笑って見せ、お襁褓《むつ》を洗い、釦《ボタン》を付け、尿瓶を掃除し、絨氈《じゅうたん》をたたき、――家中はおろか、海の上までも、まるで阿呆鳥《あほうどり》のように飛び廻るのであった。
この間にタヌは、彼女の創案になる「オルガン遊び」で、悪魔どものお機嫌をうかがうため、例の、調子をはずしたキンキラ声で、近隣の鶏を驚かしているのだ。
そもそも、この「オルガン遊び」というのは、これだけが悪魔どもに受入れられ、ご満足をうる唯一の遊戯であって、オルガンとは年の順に並んだ八人の子供がすなわちそれ。鍵盤は取りも直さず彼等の鼻のあたまなのだ。一番|年嵩《としかさ》のジャックは do、ちょうど八番目のチビが si、四番目と五番目は年子《としご》なので、五番目のポオルは fa# だというわけ。そこで演奏の方法は、タヌがそれらの鍵盤を指で押すのであって、押しさえすれば、そこから、ややそれ相応の音《おん》と歌詞とが出て来るという仕組み。
この不可解な楽器は、十日に余る涙ぐましいタヌの努力によって成ったもので、この八人の無政府主義者も、この遊戯に関する限り、ひたすら恭順の意を表し、誠意を披瀝したのは、誠にもって不思議とも面妖ともいうべき次第であった。この試演に撰ばれた曲というのは、次のような句で始まるのである。
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ピエロオさん
ペンを貸しておくれ
月の光で
一|筆《ふで》書くんだ……
[#ここで字下げ終わり]
しかし、この楽器はまだ不完全であったばかりでなく mi の音が演奏中に居睡りをしたり、fa が pipi をするために突然紛失したり、とかく無事に演奏を終えた事がない。
ああ、金言にもあるごとく、坐して喰えば、山のごとき紙幣の束も、いつかは零《ぜろ》となるであろう。まして、多寡の知れた共同の財布が、どうしていつまでも、日毎夜毎《ひごとよごと》のこの大饗宴を持ちこたえることができるであろう。
さて、旬日ののち、嚢中《のうちゅう》わずかに五十|法《フラン》を余すとき、悩みに満ちた浅い眠りを続けているコン吉を遽然《きょぜん》と揺り起すものあり。目覚めて見れば、これはまたにわかに活況を呈し、頬の色さえ橙色《だいだいいろ》となったタヌが立っていて、次のような計画をコン吉にもらすのであった。
コン吉よ、これがもし名案でないというな
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