座の空気は、しっくりとして、たいへんなごやかなものになる。
長六閣下が立って、簡潔な言葉で挨拶した。
「剛子《つよこ》のこれからのことは、ひとえに、剛子の精神の上に懸《かか》っているのです。この通り、まだ未熟な者ですから、海のものとも山のものともわからんのにかかわらず、皆様、よくお出で下さって、このような盛んな御声援を賜わったことは、まことに有難いことでした」
イヴォンヌさんに肘で突かれて、キャラコさんが、すこし上気したような顔で、立ち上る。
「わたくしは、改まって申し上げることなどは、何もございません。皆様だって、わたくしが鯱固張《しゃちほこば》った演説なんかするのを、あまりお聞きにはなりたくはないでしょうからね。……わたくし自身についていえば、じぶんの力をどの辺まで信用していいのか、全くわかっていないのですから、しっかりやって来るなんてことも、威張って申し上げられませんの。もう、これくらいにしておきますわ」
食事が始まった。
食事の合間々々に、みなが簡単な自己紹介をし、じぶんとキャラコさんとの間にどんなことがあったか、要領よく披露した。
馬のほうは、ただ、ひひんといなないただけであった。これが、いちばん喝采を博した。
小間使いが、手に速達を持って入って来て、キャラコさんに、そっと手渡しした。
茜さんからの速達だった。
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キャラコさん。
私だけのことなら、たとえ死にかけていても、必ず、おうかがいするつもりでした。あなたの立派な門出をお祝いするために。それから、いいつくせないお礼の言葉を、お別れする前に、もう一度、それとなく申し述べるために。
でも、今の私は、どうしても身体を動かすわけにはまいりません。こうまで早く、こんなことになって来ようとは、夢にも思っていなかったのです。私は、このひっそりした家にひとりでいて、絶え間なく襲って来るひどい苦痛の中から、いっしんにあなたのことをかんがえています。私の肉体はここにいながら、せめて心だけでも、そこへ行けるようにと思って。……私の席に私はおりませんでしょうが、心だけはたしかに、そこの椅子の上にいるはずです。あまり長くペンを持っているわけにはゆきませんから、もうこの辺で。あなたの、おしあわせを祈りつつ。
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消印《けしいん》の時間を見ると、きょう朝のうちに
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