キャラコさん
馬と老人
久生十蘭

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)煤黝色《ビチューム》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)ひと口|頬張《ほおば》って

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「麥+皮」、第3水準1−94−77]
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     一
 秋が深くなって、朝晩、公園に白い霧がおりるようになった。
 低く垂れさがった灰色の空から、眼にみえないような小雨がおちてきて、いつの間にかしっとりと地面を濡らしている。樹々の幹も、灌木も、草も、みな、くすんだ煤黝《ビチューム》色になり、小径の奥の瓦斯灯が、霧のなかで蒼白い舌を吐いている。
 風の吹いたあくるあさは、この小さな公園はすっかり落葉で埋まってしまう。桐や、アカシヤや、赤垂柳《あかしで》などの葉が、長い葉柄《え》をつけたまま小径やベンチの上はうずたかくなる。
 公園の看手が箒をもってやってきて、それを掃きあつめていくつも小山をこしらえる。落葉を焚《た》く火で巻煙草をつけ、霧のなかに紛れこんでゆく白い煙りをながめながら、間もなく冬がくる、とつぶやくのである。
 公園の広場をとりまく灌木のひくい斜面のしたに、水飲み場のついた混凝土《コンクリート》の小さな休憩所がある。
 砂場や辷り台で遊んでいる子供らを見張りながら、保姆《ほぼ》たちがここでおしゃべりをする。夏の暑い日には、演習に来た兵隊さんが汗を乾《かわ》かし、俄か雨のときには、若い二人づれがこのベンチのうえで身体を寄せ合うようにして、じっと雨脚をながめていたりする。
 しかし、もう秋が深くなったので、この小公園のなかは急にひっそりとなり、落葉を掃く看手のほかは、この休憩所へやってくるものもまれになったが、ただひとり、ひるごろ、毎日きまってここに坐っている老人があった。
 汚れた絆纒《はんてん》に、色の褪せた紺腿引をはき、シベリヤの農夫のように、脚にグルグルと襤褸《ぼろ》をまきつけている。指の先まで皺のよったあわれなようすをした白髪頭の老人で、庭木の苗木をすこしばかり積んだ馬車を輓《ひ》いてきて、いつもここで午食《ひる》をつかっている。
 襤褸と皺に埋まったような老人もそうだが、馬のほうもまたたいへんな観物である。
 古典的《クラツルク》な馬とでもいうのか、頭が禿げて、ひどく悲しそうな顔をしている。的確にいおうとするなら馬というよりは、皮の袋といったほうがいいかもしれない。お尻の汗溝のあたりも、首の鐙《あぶみ》ずりのところも、肉などはまるっきりなくなって、鞦《しりがい》がだらしなく後肢のほうへずりさがり、馬勒《はみ》の重さにも耐えないというように、いつも、がっくりと首をたれている。
 横腹には洗濯板のように助骨《あばらぼね》があらわれ、息をするたびに、波のようにあがったりさがったりする。なにより奇妙なのはその背中だった。鞍下のあたりがとつぜんにどっかりと落ちこんでいるので、首とお尻がむやみに飛びあがり、横から見ると、胴の長いスペイン犬そのままだった。いつも目脂《めやに》をいっぱい溜め、赤く爛《ただ》れた眼からたえず涙をながしている。
 おまけに、その馬は跛《ちんば》だった。
 むかし、ひどい怪我をしたのらしく、右の後脚がうんと外方《そと》へねじれてしまい、ほかの三本の肢より二寸ばかりみじかい。肢をピョンといちど外へ蹴《け》だしてから、探るような恰好で蹄《ひずめ》を地面におろす。そのたびに、身体が大時化に遭った船のようにガクン、ガクンと左右に揺れる。後ろから眺めると、ちょうどポルカでも踊っているように見えるのである。
 屠殺場へゆくほか、この世で役に立てようもないようなひどいぼろ馬だったが、手入れだけは、おどろくほどよくゆきとどいている。ちびた鬣《たてがみ》は丁寧に梳かれ、身体はさっぱりと爬《か》かれて、垢《あか》ひとつついていなかった。
 老人は、いつも古手拭いの頬冠りなのに、馬は、耳のところに二つ穴をあけた黒いソフトをかぶっている。雨の日は、老人のほうは、南京米の袋を肩に掛けているだけだが、馬のほうは、古いながら護謨引《ごむび》きのピカピカ光る雨外套を着ている。並んで立っていると、馬のほうが老人よりも、たしかに二倍ぐらい立派に見えるのだった。
 老人は、公園の入口のそばへ馬をつなぐと、馬車から飼料槽《かいばおけ》をとりおろし、秣《まぐさ》のなかへひとつかみほどの糠《ぬか》を投げいれて、
「ほら、もう、すぐぞ」
 と、いいながら、両手でせっせとかきまぜる。
 馬は、待ちきれないように長い首をのばし、老人の手をおしわけて、飼料槽の中に鼻先を突っこもうとする。すると、老人は片手でやさしく馬の鼻面をおさえ、片手で秣のなかの木片や小石をとりのけながら、こんなふうにいってきかせているのである。
「待ってろな。……いつぞやのように、釘なぞはいっていたら、また口を傷《いた》めるだろが。……ほらほら、もう、すぐぞ、もう、すぐぞ」
 まるで、大膳職《だいぜんしょく》のように、あれこれと細かく念をいれたすえ、ようやく飼料《かいば》が出来あがる。
 老人は、秣槽《まぐさおけ》を飼料台の上にのせ、馬が喰べはじめるのを、後手《うしろで》をしながら、ひととき、うっとりとながめる。
「たんと、喰べろ、たんと、喰べろ」
 そういいながら、着物をだいじにするひとがちいさな汚点《しみ》でも気にするように、馬の横っ腹にくっついた泥の飛沫《はね》を、掌でていねいにぬぐってやる。
「たんと喰べろ。……あわてずと、ゆっくり喰べえよ」
 ところで、槽《おけ》の中にはたんと喰べるほどの秣ははいっていない。間もなく槽の底が見え出す。
 馬は脅腹《わきばら》のところをピクピクさせながら、眼のところまで槽の中へ突っこんで、ぐるりについている秣のきれっぱしを舐《な》めとろうとするが、馬の唇ではそれをつまみとることができない。
 すると、老人は、
「おお、よしよし」
 と、いいながら、秣の屑を丹念にかきあつめ、それを掌《て》にのせて馬の鼻先へさしだしてやる。馬は、長い舌でデレリと舐めとると、満足したというふうに、眼を細くして、鼻面で老人の肩へしなだれかかる。
 老人は、平手でやさしく馬の首をたたく。
「おお、すんだか、すんだか。……せめて、もう四半桶《しはんおけ》もほしかろうも、がまんせい」
 そして、馬車の上の苗木のほうを顎で差して、
「あれが、一本でも売れたら、胡蘿蔔《にんじん》を三銭買ってやるけに、たのしみにして待っていろよ」
 いつの日も、判でおしたように、これをくりかえす。これほど胸をうたれる光景はなかった。
 老人は、馬車の側板《わきいた》の折り釘に引っかけておいた小さな包みをはずすと、
「では、おれは、午食《ひる》をつかってくるけに、しばらくここで待っていろ、いいか」
 と、いいきかせて、軽い跛《ちんば》をひきながら公園のなかへはいってくる。
 やれやれというふうにベンチへ腰をおろすと、弁当の包みをたいせつそうに膝のうえへおいて、ニコニコと笑いながら、ひとわたりグルリと公園のなかを見まわす。
 この小さな公園の樹《き》も草も、花も、みな、この老人の親しい友達なのにちがいない。その証拠には、この老人は、ひとの眼に触れたこともないような、藪《やぶ》かげの一輪の花の消息にさえ、ちゃんと通じているのである。
 たのしそうに、あちらこちらの繁みや藪かげをのぞき込みながら、
「花菅《はなすげ》は、もう終りだ」
 と、つぶやいたり、
「おや、唐胡麻《とうごま》は、きょうは元気ないの」
 などといったりする。
 花菅も、唐胡麻も、眼につくようなところにあるのではない。よほど注意して見なければわからないような、深い藪かげにあるのである。
 たんのうするだけ花や草に挨拶すると、老人は水飲み台のほうへ立っていって、備え付けのアルミニュームのコップに、いっぱい水をくむ。それを口へもっていってすっかり飲みほすと、
「ああ!」
 と、深い溜息をつきながら、空をあおぐ。
 それは、このうえもない満足をあらわすしぐさなのだが、滑稽でもあり、あわれでもあった。
 それから、ベンチへ帰ってきて、ゆっくりと風呂敷包みをとく。こんなことをいっては申し訳ないのだが、その握飯《むすび》は、びっくりするほど黒い色をしている。それに、二つに割ったその芯《しん》には、何ひとつ慰みになるようなものもはいっていない。
 老人は、それを大切《だいじ》そうに両手のなかで捧げ持って、舌づつみをうちながらゆっくりゆっくり食べはじめる。ひと口|頬張《ほおば》っては、この世にこれ以上の珍味はないというふうに、
「うむ」
 と、感にたえたような声をだす。
 老人は、上顎にも下顎にも一本も歯がないと見えて、口をムグムグやるたびに、皺だらけの頬がじつに奇妙な動きかたをする。上唇と下唇がいっしょくたになって、鼻の下まで飛びあがり、唇の両端が耳のそばまであがっていって、お能の翁の面のような、なんともいえぬ味わいの深い顔になる。
 老人は、勿体なそうに、ひと口ずつたいへん手間をかけて食べる。しかし、世にも楽しそうなこの食事も、そうながくかかるわけではない。握飯《むすび》は子供の握り拳《こぶし》ほどの大きさしかないので、まもなくすんでしまう。
 老人は、指についた飯粒を唇でていねいにひろいとり、よれよれになった風呂敷を畳んで膝のうえにおくと、後味をたのしむように、うっとりとした顔でしばらくじっといる。それから、ゆっくりと腰をのばして、陽ざしをながめる。
「おお、てんとうさまがお見えにならしゃった。……それならば、この間《ま》に、もうひと廻りしようぞ。……どっこいしょ、どっこいしょ」
 と、掛声をかけながらベンチから立ちあがって、
「おおきにお世話さまになりました。……では、また明日《あす》。……はい、さようなら。……はい、さようなら……」
 と、水飲み台や、ベンチや、まわりの草や樹《き》にいちいち愛想よく挨拶すると、背中を丸くして跛《ちんば》をひきながら、馬のいるほうへヒョックリ、ヒョックリ戻ってゆく。
 老人の姿が公園の入口の石段のところにあらわれると、馬は、いかにも待ちどおしかったというように、首を大きくあげたりさげたりしながら、ひひんと嘶《いなな》く。老人は馬のそばへちかづいていって、
「おう、おう、待ちどおだったか、待ちどおだったか」
 と、いって、平手で、軽くその首をたたくのである。

     二
 キャラコさんの部屋の東側の窓は、公園の土手の真上にあいているので、そこから、広場の半分と、公園の入口と、休憩所の全部をひとめでみわたすことができる。
 春から夏までのあいだは、子供たちが朝早くから走りまわるし、男や、女や、年寄りや、兵隊や、さまざまな人々が、いりかわりたちかわり公園へやってくるので、その老人だけに特別な注意をひかれるようなこともなかったが、だんだん秋が深くなって公園を散策する人影もまれになると、たとえば、木の葉が落ちて、今まで隠れていた空が急に見えだすように、この老人の存在がはっきりと目につくようになった。
 老人は、まいにち同じころにやってきて、同じような単純なことをくりかえすだけなのだが、なんでもないその平凡な動作のうちに、たとえようもない人の好さと善良さがうかがわれるので、見ていると、なんともいえない豊かな気持になる。
 キャラコさんは、馬を公園の入口につなぐところから、また馬車へ戻ってくるまでの、馬と老人の営みをまいにち窓からながめていた。
 誰れも注意のはしにさえとめないような、みすぼらしい老人と、ふきだしたくなるような跛《ちんば》の痩せ馬の平和な交渉をながめているときくらいたのしいことはない。こんなうれしい気持をあじわったことは、生まれてからまだ一度もなかったといってもいいくらいだった。
 何にもまして、キャラコさんのこころをつよくうったの
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