しているのだと、考えて考えられぬこともない。
 キャラコさんが、感動の極といったような声を、だす。
「そうだとすれば、なんという贅沢な馬さんなんでしょう! そんなしあわせな馬さんなんて、あとにもさきにも聞いたことがありませんわ」
「じつに、はやもう!」
「あたし、この馬さんを見たとき、なんというおっとりとしたようすをしているんだろうと、思いましたの。まったく、理由のないことじゃありませんでしたわ。そんなにだいじにされて、したいようにしているのだから、それで、こんな上品な顔つきになるのですね」
 キャラコさんは、嘘をついたのではない。ほんの、ちょっとばかり、誇張したのに過ぎない。老人の夢に賛成することが、老人を慰めるいちばんいい方法だと思ったから。……そして、ひょっとして、こんなふうにでもいったら、見向きもしないというこの長人参を、気位《きぐらい》の高いこの馬さんに食べていただけるようなことになるかも知れないと思って。
 背中に隠している長人参の葉が、キャラコさんの手のなかで火のように燃える。なんとかして、この施物《せぶつ》を受けとらせるうまい口実を探し出そうと思って、キャラコさんは、夢中になってあれこれとかんがえはじめる。
 ともかく、老人は、すこしばかりいいすぎたようだ。今となっては、どうしたってこの長人参を受けとるわけにはゆくまい。
(長人参などときたら、くわえても見ようとしないのでござります)
 そのひとことが、たいへんな重石《おもし》になってしまった。老人は、自分の夢を語るのに一生懸命で、キャラコさんの腰骨《こしぼね》のあたりからソッとのぞきだしている、目のつんだきれいな人参の葉っぱに気がつかなかった。それにさえ気がついていたら、こうまでひどく人参を軽蔑するようなことはしなかったであろう。
 ああ、じっさい! キャラコさんのほうにしたってそうだ。こういう経過のあとで、この人参を受けとらせようとするのは、なかなかなまやさしいことではないのである。
 水気の多い、見るさえ美味《うま》そうな、このひと束の人参!
 歯のあいだで噛みしめたら、口のなかが清々しい匂いでいっぱいになってしまうにちがいない。シャリシャリいう、なんともいえない歯あたりと、どこか、すこしばかりピリッとした甘い漿液《しる》!
 四半桶の秣《まぐさ》と、ひと握りの糠《ぬか》しか食べていない、この餓
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