は、いかにも澄みわたった、おだやかな、満ち足りたような楽しげな老人のようすだった。
 せっせと秣《まぐさ》をかきまぜているときのこころの深いやさしいそぶり。……恐らくは、遂《と》げられそうもない馬との約束。……弁当の包みを膝にのせながら、微妙な季節の移り変わりに驚歎している赤子《あかご》のような無心な表情。……落葉のたまった水飲み台から一杯の水をくんで、それを飲むときの喜悦にかがやきわたるような顔。……稗《ひえ》か麦の貧《まず》しい握飯《むすび》を、尊い玉ででもあるかのように両手で捧げ持っている敬虔なようすも、見るたびに、無垢な感動を、キャラコさんのこころのなかにひきおこす。
 とりわけ、ベンチや、水飲み台や、まわりの草や花に、いちいち愛想よく別れの挨拶をする底知れない善良なようすを見ると、思わず、微笑んだり、ほろりとしたりする。
「なんといういいおじいさんなんだろう。いったい、どんな生活をしてきたひとなのかしら……」
 じっさい、どういう紆曲《うきょく》を経て、このような調和のとれた忍辱《にんじょく》の世界に到達したのであろう。こんな朴訥《ぼくとつ》な、無心な老人が、まだこの世に生きているということすらが、すでに信じられないほどのことだった。
 キャラコさんは、遠い憧憬に似た感情を心にかんじながら、こんなふうにつぶやく。
「いちど、あのおじいさんと、お話して見たいわ」
 そのそばに坐って、季節のはなしや小鳥のはなしをするだけでも、なんともいえない楽しい気持になり、こころの隅々にまで清《すが》すがしい風が吹きこんでくるようなうれしい思いがするにちがいない。
 しかし、眺めていると、老人と馬のいとなみは、いかにも緊密で、しっくりと調和がとれているので、二人だけの深い生活の中へ、じぶんのようなものがささり込んで行くのは、いかにも心ないやりかたのように思われて、まいにちすぐ眼のしたに老人の姿を見ながら、おもいきって言葉をかける勇気がでてこなかった。
「あたしのようなものが飛び込んで行ったら、きっと迷惑するにちがいないわ。……それにしても、ちょっとお話するくらいのことはいけないかしら……」
 だいぶ長いあいだもだもだしたすえ、キャラコさんは、とうとう決心した。
「こんにちは、というだけで、いいわ。……ただ、こんにちは、というだけ……」
 昼御飯を早めにすますと、ひと束の長人
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