うを見あげてみますと、どの窓も、しっかりと鎧扉《よろいど》がとざされ、廃屋《はいおく》のように森閑としずまりかえっています。
 しばらくポーチにたたずんでいましたが、いつまでたっても、なんの音沙汰もないので、留守なのだろうと思って、あきらめて帰りかけると、うしろで、カチッと掛け金がはずれる音がして、二寸ばかりあけた扉《ドア》の隙間から、小鹿のような臆病そうな黒い大きな眼が、そっとのぞきだしました。
 皮膚の薄い、すき透るように色の白い、上品な面《おも》ざしをした九つばかりの少年で、半ズボンの裾から、スラリとした美しい脛《すね》を見せています。
 あたしが、おどけた顔で失敬をして見せますと、少年はつり込まれてニッコリと笑いましたが、すぐまた、悲しげにさえ見える真面目な顔つきになって、じっとあたしを瞶めています。
 もう一度、笑わせて見たくなって、両手を耳の上にあててヒョコヒョコうごかしながら『兎さん』をやりますと、少年は、だまってあたしの道化を眺めていましたが、自分もこんなことをしていいのかといったような臆病なようすで、そろそろと両手を耳のところへ持って行って『兎さん』の真似をしました。
 あたしが、のんきな声で、
「お母さま、おるす?」
 と、たずねますと、少年は、扉口にもたれて、靴の踵《かかと》でコツンコツンと扉《ドア》を蹴りながら、
「ママ、一昨日《おととい》からおりません。ボク、ひとりなの」
「おやおや、ねえやさんもいないの」
「誰れもおりませんの。ボク、ひとり」
 そういうと、急に顔を伏せて、泣くまいとでもするように、ギュッと唇を噛むんです。
 扉《ドア》の隙間から、だだっぴろい、ガランとした玄関の間《ま》と、彫刻《ほり》のある物々《ものもの》しい親柱《おやばしら》がついた大きな階段が見えます。こんな広い邸《やしき》に、こんな小さな子供をひとり放っておくというのは、いったいどうしたことなのだろうと思って、呆気《あっけ》にとられて少年の顔を眺めていますと、少年は、眼を伏せたまま、虫の鳴くような声で、
「あなた、おいそがしいのでしょうか」
 と、あたしに、たずねますの。あまり大人くさいいいかただったので、あたしは可笑《おか》しくなって、思わずクスリと笑ってしまいました。
「いいえ、いそがしいってほどでもありませんわ。……どうして? お坊っちゃん」
 すると、少年は、女の子のような、小さい美しい手をおずおずとあたしの腕に搦《から》ませて、縋《すが》りつくような眼つきで見あげながら、
「……おいそがしく……ありませんでしたら、……どうぞ、遊んでいらして、ちょうだい。……でも、……あなた、ボクのような子供と遊ぶの、つまらないかしら」
「まるっきり、反対よ、お坊っちゃん。……でも、だまってお邪魔したりして、お母さまに、叱られはしないかしら」
 少年は、腕にかけた手に、せい一杯に力をいれて、
「だいじょうぶ! ママは『リラ・ブランさん』といっしょですから、あすでなければ帰って来ないの。……リラ・ブランさんというのはね、ママのお友達で、ヴァイオリンを奏くひとなの。……お酒に酔うと、いつも、『リラ・ブラン』という歌をうたうの。そして、お前なんか見たくない。あっちへ行け、小僧! っていうの。……パパも、むかし、そうだったけど……」
 少年は、熱にうかされたように、口をおかずにしゃべりつづけながら、グイグイと手をひいてピアノが置いてある大きな部屋につれ込むと、あたしを長椅子の上に押しつけ、じぶんもチョコンと並んで坐って、
「ぼく、ほんとうに、うれしいの!……ボク、これで、まる三日もひとりきりでしたから」
 おどろいて、あたしが、たずねました。
「ひとり、って、女中《ねえ》やさんもいないの?」
「ええ、誰れもいませんの。ボクひとり。……ママは女中《ねえ》やを置くのきらいなんです」
「ねえやさんもいないとしたら、あなた、御飯なんか、どうなさるの」
 少年は、なんだそんなこと、というふうに、
「ママが、麺麭《パン》を置いてってくれますから、だいじょうぶ。……でも、ママ、時々ボクのことを忘れて、二日も三日も帰って来ないことがありますの。すると、ボク、とても困るの、お腹《なか》がすいて。……でも、もう、馴れているから平気です。そんな時は、動かないで、じっとしているの。こんなふうに、息をつめて……」
 なるほど! たいしたもんですわね!
 こういうのが欧羅巴《ヨーロッパ》ふうなんだと、自慢らしく公言してはばからないという、傍若夫人の奇抜な利己説《エゴイズム》は、世間では有名すぎて、もう古典になりかけているのだそうですが、なるほど、評判だけのことはあるようですわ! 子供には黴《かび》のはえた麺麭《パン》をあてがっておいて、じぶんは毎日遊び狂ってあるくとい
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