、たいへん、至当なことだったわ。……それから、あたしたち、……すくなくとも、ここにいる三人は、ローリーさんに、あまりいい感じを持たなくなったの」
 キャラコさんが、うなずく。
「よくわかったわ。……それで芳べえさんのほうはどうなの」
 キャラコさんには、どんなことが始まっているのか、だいたい察しがつく。なるほど、ちょっと軽々しくは裁量《さいりょう》できかねるようなむずかしさがあった。
 あまりこちらが敏感に察するのはよくないと思いつつ、すこし心配になってきて、
「……つまり、芳衛さんがローリーさんのところへ遊びに行くというのね」
 うっかり口走って、キャラコさんは、顔を赧《あか》らめた。
 女学生がホテルにいる西洋人のところへ遊びに行く……。自分より若いひとたちの前で口にのせるような言葉ではない。キャラコさんは、閉口して俯《うつ》向いてしまった。
 しかし、三人のほうは、そんな意味にはとらなかった。
 鮎子さんが、眼玉を大きくひ※[#小書き片仮名ン、255−上−11]|剥《む》きながら、勢い込んで、いった。
「そうなんだよ、キャラコさん。……芳衛さんは、ご自慢のオーガンジの服を着て、毎日、三時になると、女王様のようにそっくり返ってローリーさんたちの『お茶の会』へ出かけて行くんだ。……そのお茶の会っていうのは、SSヨット倶楽部《くらぶ》の連中の会で、気障《きざ》なシャナシャナした男や女が大勢いるんだって。……これが、『虚栄の市へ行く』ということなの」
 ピロちゃんが、頓狂な声をだす。
「……ヨットといえば、キャラコさんに、まだ『赤い帆のヨット』の話をしなかったね、トクべえさん」
「そう、まだしなかったわ」
 トクべえさんが、れいの感じ[#「感じ」に傍点]を混《ま》ぜながら、奇妙な赤い帆のヨットの話をした。
 みな、芳衛さんのほうを忘れてしまって、赤い帆のヨットについて、思い思いの意見を述べたてた。
 鮎子さんが、いった。
「キャラコさん、海流からはずれたところで、わざわざ魚を釣るなんて馬鹿なはずはないんだけどあなたどう思う?」
 キャラコさんの頭に、ちょっとした考えがひらめいた。
「……ローリーさんが、毎朝、ずっと沖から泳いで来るといったわね。……その時、沖に、赤い帆のヨットがいるの? いないの?」
 トクべえさんが、考えるような眼付きをしながら、こたえた。
「どうだったかしら。……よく、気をつけてなかったけど」
 鮎子さんが、突然、大きな声を出す。
「たしかに、いたような気がする!」
 ピロちゃんが、うなずく。
「そういえば、なるほど、そうだったかも知れないわ」
 キャラコさんが、いった。
「ローリーさんというひとは、毎朝、そのヨットから泳いで来るのじゃないかしら」
 なるほど! ピロちゃんも、鮎子さんも、トクべえさんもゾクッとしたような顔で互いに眼を見合わせた。
 キャラコさんが、つづけた。
「……赤い帆のヨットが、定《きま》った時間に、きまった場所へやって来るのだとすると、従って、ローリーさんも、毎日、きまった時間に、きまった場所から岸へ泳いでいることになるわけね」
 三人が一斉に叫ぶ。
「そうだわ!」
 ピロちゃんが、真剣の眼付きで、
「でも、なぜ、そんなことをするのかしら?」
「それは、あたしにもわからないけど、こんなことは考えられるわね。……もちろん、これは、あたしの想像よ。……ともかく、ことさら、赤い帆をつかったりするのは、どこからでもはっきり見えるようにするためで、蝶々のような風変りなかたちの帆をあげるのは、他のヨットと紛らわしくないようにして置くためだともとれるわ。……それから、もうひとつ。……この要塞地帯で、わざわざ目立つようなことをするのは、そのゆえに、逆にひとの注意をそらそうとする意図なのじゃないかしら」
 いつの間にか、三人は椅子から離れて、キャラコさんの足下《あしもと》の床へ坐り込んでしまった。
「そうだとすると、たいへんなことになって来たな。すると、つまり……」
 そこまでいって、急に口を噤《つぐ》んでみなの顔を眺めわたした。その心は、すぐ、みなに通じた。しかし、誰もそのあとを続ける気にはなれなかった。この思いつきは、馬鹿ばかしいようでもあり、恐ろしいようでもあった。
 みな、急に声が低くなって、額《ひたい》をあつめて、ごしゃごしゃと話し合っているところへ、芳衛さんが、細かい花模様のある、提灯《ちょうちん》のように裾のひらいたオーガンジの服を着て、気取ったようすで入って来た。
 馬鹿ねえ、といいながら、まっ直ぐに黒板のほうへ歩いて行って、その上の字を拭き消すと、いつもとちがった、ひどくつきつめたような顔で皆のほうへ戻って来て、床の上へ坐り込みながら、囁《ささや》くような声で、いった。
「諸君、たいへ
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