悪くして、横浜の根岸の家で、もう半月もずっと寝たきりになっているんですが、どうしたのか、この四五日前からしきりにあなたに逢いたがる。迎いに行って、ぜひいちど来てもらってくれと頼むんですが、知らないならいざ知らず、私もレエヌからきいてよく知っているのですから、あんなことのあったあとで、こんなお願いに出るのも、あまり虫がいいようで、てれくさくてしようがないから、今日も逢えなかった、今日も逢えなかったで、ごまかしていたんです。……ところが……」
 急に暗い眼つきをして、窓のほうへぼんやりと視線を漂わせていたが、右手の人差し指を曲げて顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》にあてがうと、沈み切った声で、
「……じつは、ゆうべ、とうとうやったんです。……まずいことには、これが失敗《しくじ》っちゃって……。そんなわけだから、もう嘘はいえない。今日こそは、どんなことがあっても、お目にかかって、お願いして見ようと思って」
 と、いいながら、ポケットから封筒にはいった手紙を取り出して、
「ここに、あいつの手紙を持っていますから読んでみてください。……僕なんかが、ぐずぐずいうよりもそのほうが
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