気が遠くなる」
 蒼ざめた額に玉のような汗をかき、身体じゅうを痙攣《けいれん》させながら悲鳴をあげた。
「もう、よしてくれ。足なんかいらないから、もう、よしてくれえ。死にそうだ」
 キャラコさんは、やめない。しっかりした声で、激励する。
「もう、一、二分。……すぐすんでしまいますわ。もう、ほんのちょっと!」
 そういう間も手を休めずに、セッセと沃度丁幾《ヨードチンキ》を塗る。
 原田氏は、ありったけの力をふりしぼって叫び立てる。
「もう、よしてくれ!……おれの足へそんなものを塗ったくっているのは誰なんだ!……おい、誰だってえのに!」
 キャラコさんが、手を動かしながらこたえる。
「あたしよ。……もう、ちょっとだから我慢してちょうだい」
 原田氏が、急に黙り込んだ。もう、うんともすんとも言わなかった。頭をまっ赤にふくらせ、ギュッと歯を喰いしばって、とうとう我慢し通してしまった。

 二人が病床についてから、もう、一月近くになる。
 この六つめの山も、今までのそれと同じように、あまり好意のある反応を示さなかったが、山下氏と三枝氏は、たゆむことなく、毎日、朝はやく谷間へ降りて行った。
 夕方
前へ 次へ
全59ページ中55ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング