いう機会《チャンス》にめぐまれることがありませんの。……だから、みなさまのような方にお逢いできたのは、あたしにとっては思いがけないしあわせでしたわ。意味もなく歩き廻っていただけですんでしまうかも知れなかったのですものね。……ところで、あたしが、みなさまにお逢いしたおかげで、この旅行は、たいへんな意義をもつことになりました。みなさまのお世話さえしてあげれば、間接に日本のなにかに寄与することになるのですから、こんなすばらしいことってありませんわ。……これが、あたしの決心の動機よ」
 山下氏が、むずかしい顔をほころばせて、眼に見えないほどの微笑をした。
 キャラコさんは、一歩前へ進み出て、胸を張って、いった。
「あたしは、こんな若い娘ですが、決してグニャグニャではないつもりですわ。それから、父も兄弟も従兄《いとこ》も、みな、あたしを信用していてくれます。あたしに絶対の信頼がかけられているんです。理由のあることなら何をしてもいいことになっていますの。ですから、あたしが、突然飛び込んで来たことで、みなさまにご迷惑をかけるようなことは決してあるまいと思いますわ」
 愛想よく笑って、
「……ずいぶんしゃべりましたわ。……申しあげたいことは、まだどっさりありますけど、もうこれくらいにして置きますわ。……どうぞ、あたしをおしゃべりだと思わないでくださいね。ふだんは、これでも無口なほうなんです。あたし、一生懸命だったからなんですわ」
 山下氏が、意見をたずねるように三人のほうへ振り返った。三人は思い思いの仕方でうなずいた。
 山下氏は、キャラコさんのほうへ向き直ると、冷淡な口調で、いった。
「よくわかりました。……お見受けするところ、あなたは、男の仕事の邪魔をする、やり切れないお嬢さんとはすこしちがうようだ。仕事を助けてくださるという意味でなら、いてくだすって差し支えありません。……みなも、……どうやら……賛成しているようですから」

     四
 次の朝、まだ薄暗いうちに、四人は元気よく鉱坑のある谷間のほうへ降りていった。
 キャラコさんは、たいへん忙しい。
 四人の大《だい》の男をじゅうぶんに食べさせ、居心地よくさせ、くつろがせ、慰安をあたえ、休養させ、やすらかに眠らせ、……食べることから、身のまわりのいっさいのことを、十九になったばかりのこの二本の細い腕でやっつけなければならない。長六閣下とじぶんの名誉にかけて、宣言しただけのことは、やってのけなければならないのである。
 四人が出かけてゆくと、キャラコさんは、小屋の掃除にとりかかった。
 床板《ゆかいた》のあいだから生え出している草をたんねんにむしりとり、四つの窓には四人の防水|衣《ぎ》をカーテンのかわりに掛けた。炊事場の棚をつけなおし、落葉でつまっていた樋《とい》を掃除して、清水《しみず》が流場《ながし》へ流れこむようにした。雑草のなかに倒れていた扉《ドア》をひきおこし、骨を折ってこれを入口にとりつけた。
 これに、午前いっぱいかかってしまった。
 小屋のなかが片づくと、そろそろ夕食の支度にとりかからなくてはならない。まず、炊事道具と食糧の検査をはじめた。
 四人がしょってきたものは、たいへん貧弱である。コッフェルが一つ、フォークのついたナイフが四挺、アルミのコップが四つ。……これでは、ないほうがましなくらいである。
 材料のほうになると、これもまた心細いきわみだった。キャラコさんのぶんを合わせて、つぎのような貧弱な材料で、村へ買出しにくだる日までもちこたえなくてはならない。

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(キャラコの分)コッペ二つ、レモン二個、角砂糖一箱、板チョコレート二枚。
(四人の分)米、塩、味噌、乾パン、熱量食。
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 キャラコさんは、意想の天才である。このような場合には、たいてい独創的な思いつきをしてひとを驚かすのだが、この貧弱な材料で四人の男を四五日養うというのには、たしかに、神の助けが必要なようである。
「困ったわね。これでは、どうにもならないわ。とりあえず、なにか力のつくものを喰べさせなければならないというのに……」
 キャラコさんは、途方に暮れたようにため息をついていたが、間もなく気をとりなおして、男のように腕を組んでいろいろと工夫しはじめた。
 しかし、思いつきをするのに、たいして時間はかからなかった。
「……裏山《うらやま》へ入ると、蕗《ふき》ぐらいあるかもしれないし、ひょっとすると、川には岩魚《いわな》なんかいるかも知れないわ。……ともかく、出かけてみるこったわ」
 大急ぎで米をとぐと、裏山へ駆けあがって行ったが、木苺《きいちご》がすこしあるばかりで、喰べられそうなものはなにひとつ見当らなかった。
 キャラコさんは、ガッカリして、情けない声を
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