な仕方でキャラコさんの手をふり切って、毒々しい口調で叫んだ。
「いいから、独りで歩かしてください。これから毎日散歩に来なくてはならないのだから、道に馴れておこうと思ってやって来たところなんです。おせっかいはごめんだ」
 黒い眼鏡だけのような顔を、キャラコさんのほうへふり向けると、
「……もっとも、一生私の手をひいて下さるというなら別ですがね。たった一度くらい世話してもらったってなんにもなりゃしない」
 そして、空うそぶくようにして、は、は、は、と笑った。
 すこし、ひどいいい方だったが、キャラコさんは気にもかけずに、
「でも、ここはひどい石ころ道で、とても危ないのよ。……それに、陽もくれて来ましたし……」
 佐伯氏は、ふん、と鼻を鳴らして、
「陽も暮れて来たし……か。私にとってはどっちみち同じこってすよ、お嬢さん。はじめっからまっ暗なんだから。……まあ、放っておいてください。私はめくら[#「めくら」に傍点]だが、あまりめくら[#「めくら」に傍点]扱いにされるのは好きじゃないんです」
 キャラコさんは、すこし悲しくなってきた。しかし、自分があまりうるさくしたのがいけなかったのだと思いかえして、いわれた通りに佐伯氏の腕から手をのけた。
 佐伯氏はステッキで道をさぐりながら、危なっかしい足つきで歩いてゆく。道がわからなくなると、癇癪《かんしゃく》を起こしたようにどこでもかまわず踏み込んで行った。
 キャラコさんは心配でたまらないので、すこしあとからついて行くと、佐伯氏はキャラコさんのほうをふりかえって、
「君はどこか別な道から帰れないの。うるさいから、ついてこないでくれたまえ」
 と、イライラした声で、投げつけるように叫んだ。
 キャラコさんは、
「ええ」
 と、素直にそう返事をして、しばらく立ちどまってから、ずっと離れて見え隠れに宿の入口まで送って行った。
 宿へかえると、キャラコさんは、机に向って日記を書きはじめた。

[#ここから3字下げ]
 キャラコの失敗
 私は不幸なひとを見ると、すぐ感動してしまう。
きょう、私は夢中になりすぎて、不幸なひとをいら立たせた。
他人の不幸に感情だけで同感するということ。――ことに、衝動的な親切などは何の意味もなさない。私は、私の薄っぺらな同情を佐伯氏に見ぬかれてしまった。
それは、……
[#ここで字下げ終わり]

 ここで、急にペンが動かなくなった。
 キャラコさんは、にがにがしい顔をして長い間ペン軸を噛《か》んでいたが、とうとう、思い切ったように、そのあとに、こんな風に書き足した。

[#ここから3字下げ]
 つまり、私が、おっちょこちょいだから……。なってないわね。……よく覚えておきなさい。他人《ひと》に同情するなどというのは、けっして容易《たやす》いわざでないということを。いい加減な同情などは、これからつつしまなくては。
[#ここで字下げ終わり]

 キャラコさんは、寝床へはいってから、いつまでも大きな眼をあいて天井をながめていた。
 気持が沈んで、ひどくメランコリックになっている。なんだかもの足りない。あの不幸なひとにやさしくしてあげることができないというのは、なんというさびしいことだろう。
 アッシュのステッキをついて、そろそろと足さぐりして歩いている佐伯氏のわびしそうな姿が眼にうかぶ。
 佐伯氏は、石ころだらけのゆるい坂道を虫のはうように歩いて行く。杖のさきで長い間道の上をたたく。いよいよ大丈夫だと見極めがつくと、おずおずと右足を伸ばす。また杖で道をさぐる。それから、ようやく左足が出てゆく。
 なんて、はかばかしくないんだろうと思って、キャラコさんのほうで、ジリジリしてくる。がっかりしたような声をだす。
「とても、見てはいられないわ」
 佐伯氏は、まだのそのそやっている。あまりひどい骨折りなので、すぐ疲れてしまうらしい。四、五歩あるいては立ちどまって汗をふく。それからまた元気を出してやりだす。
 ところで、休んでいるうちに方角がわからなくなったとみえて、道を斜《はす》に、大きな松の木の根が出ている窪《くぼ》みのほうへどんどん歩いてゆく。危ない危ないと思っているうちに、案の定、穴ぼこの中へ右足を踏みこんでえらい勢いでひっくりかえる……。
 キャラコさんの胸が劇《はげ》しくおどる。思わず大きな声をだす。
「あら、危ない! ……ほうら、とうとう落っこっちゃった」
 自分の声ではッと気がついて赤い顔をする。てれくさくなって、枕の上で頭をまわす。
 キャラコさんの耳に、毒々しい佐伯氏の声がきこえる。
(うるさいから、放っておいてくれたまえ! めくら[#「めくら」に傍点]扱いにされるのはごめんだよ)
 たしかに、ひどすぎるいい方だ。辛辣《しんらつ》すぎる。ひねくれている。あまり礼儀しらずだ。
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